Sunday, February 24, 2013

最近気に入っている曲



「マッチョマン!」

いいねえ、いいねえ。一度くらいマッチョになってみたくなるねえ。

一週間も経ってしまいましたが

先週の撮影会に参加してくださった皆様、寒い中本当にありがとうございました。

また来月もエリア66さんで撮影会を予定しております。

どうぞ奮ってご参加ください。


Monday, February 4, 2013

いつかの椅子の話


引っ越しをすることになったので、今度こそはインテリアに凝ろうと思っている。シャビーシックなインテリアなんていいよな。私には似合わないけれど。
金をかける余裕はないので、オークションやリサイクルショップで掘り出し物を探すのが日課となってしまった。

先日も某オークションサイトで椅子を落札した。が、終から気がついたのだが、送料がとんでもない額だった。なんと二脚で一万円!東京から東京に送るというのに。

そんなぼったくりの罠にはまるわけにはいかない。直接引き取りに行ってもいいとのことだったので、隣県まではるばる足を伸ばした。タクシーと電車を利用すれば四千円くらいで済む。

しかし、椅子を持って電車に乗るっていうのはまともな人間のすることではないね。他の乗客たちの視線が痛かった。あれが人生で最も目立った瞬間だったかもしれない。

あの珍妙な光景を見た誰かも同じことを考えたかもしれないが、私もやっぱり『いつかのメリークリスマス』を思い出した。

僕は走り 閉店まぎわ 君の欲しがった椅子を買った
荷物抱え 電車のなか ひとりで幸せだった

という部分。

あの歌詞の主人公もやっぱり恥を忍んで電車内で椅子を抱えていたのだろうか。

それにしても不思議な歌詞である。散々言われていることだけれど、やっぱり不思議だ。

なぜクリスマスプレゼントに椅子を買ったのか?これについては別に私は疑問に思わない。「きみ」が欲しがっていたからだ。椅子が欲しくなる気持ちはよーくわかる。変だと思うのは、なぜその椅子を抱えて電車に乗ったのかということだ。

私と同じように送料をケチっただけ?うーん、違うような。だって一応プレゼントだよ。汚れたりしたら困るじゃないの。
そうなんだよ、プレゼントなんだよ。だったらラッピングするとか、箱に入れるとかするよな。私みたいにむき出しのまま持って帰ったりはしないはずだ。箱入りの椅子を抱えるのってしんどくないか?おまけに午後八時前後の電車の中で(閉店時間が一般的に午後八時だと仮定する)。

だいたい、ぎりぎりになって用意するからいけないんだ。もっと早く注文して送ってもらえばよかったんだ。
それとも、同棲しているから配送じゃ都合が悪かったのか?サプライズで喜ばせたかったのか?

わからない。全く以てわからない。

小さい椅子だったなら何もかも解決するのに。あ!そうか!小さい椅子!折りたたみ椅子か!

この歌詞に出てくる女性は競馬狂いなのかもしれない。男のほうがギャンブル好きだから一緒に行くうちに凝り出したのかもしれない。最近はまり出したばかりだから、まだ折り畳み椅子は買っていなかった。競馬の前はパチンコだとかが趣味だったのかもしれない。ギャンブルが唯一の感心事だから女らしい服や小物に興味が無い。だから椅子を欲しがったのかもな。

「僕」はできることなら義援金をプレゼントしたかったが、余裕がなかったので手頃な椅子にしたのかもしれない。線路沿いのアパートで同棲生活を送っている可能性が高いので、そんなに裕福ではないように思える。
だとしたら閉店間際に駆け込んだのは、家具屋ではなくてホームセンターか。

考えてみれば「何もかもがきらめいて がむしゃらに夢を追いかけた」という部分もギャンブラーっぽいもんな。

撮影会告知

今月、2月16日(土)に撮影会を開催することになりました。

場所は前回と同じで秋葉原のArea66さんです。

詳細はホームページからご確認ください。

皆様の参加を心よりお待ちしております。


Area66 
東京都千代田区外神田2-4-6 ビルディング・ササゲ6F
03-6206-8213

Sunday, February 3, 2013

無題がふさわしい

人生が良からぬ方向に動き出したあの日、私の中に現れた私はこれまでとは異なった人間だった。事情を知っている方には大袈裟に聞こえるかもしれない。そう、誰にでも訪れることだ。しかし当事者にとってはあらゆることを変えてしまう大事件だったのだ。新しい私はそれほど強欲ではない。味の濃い食べ物と、品物ではなく多少の金銭があればそれなんりに満足できる小市民だった。

以前のように贅沢したいとは思わなくなった。欲しい物は相変わらず山のようにあるけれど、手に入れるにはあまりにも遠くて、アイドルに憧れる中学生のようにただ憧れ、眺めているだけだ。以前の私に「憧れ」という感情はなかった。一番近いのは「欲望」だった。

多くのことを諦めてしまった。ずっと楽に諦められるようになったからかもしれない。

こうやって何かを書くということも、できるにはできるけれど、以前のように自然な行為ではなくなってしまった。

悪い意味で大人びてしまった。萎んでしまった。日に日に私はつまらない人間になっていくのに、どうすることもできない。諦めるという行為が意外にも困難ではないことを知ってしまったから。

こういう人間になることにもメリットはある。お金がかからないことだ。収入が減ってしまったし、今の生活はそれなりに出費もかさむ。だが、道楽にかける支出が大幅に減ったので、貧乏になったにも関わらず貯蓄は確実に増えている。

ああ、なんて現実的な話だろうか。

そうだ。つまり私は現実的になってしまったのだ。

「青春時代」なんて私にはないのだと思っていたが、夢見がちで無鉄砲な人間でいられた去年の九月半ばまで、私はその時代の真っ只中で好き勝手生きていたのだ。

私には性欲の類いが無かったなら青春の中にいても実感がわかなかったのだろう。だが、他の欲望でいつも私はギラギラしていた。

今となっては遥か昔のようだ。