Tuesday, November 30, 2010

着る毛布



テレビ通販に洗脳されて、着る毛布を買ってみた。

だって、これさえあれば、読書や勉強がはかどり、代謝が良くなるおかげで綺麗になり、電気代の節約になり、おまけに家族との絆まで深まるとさかんに喧伝していたのだもの。
¥4,980で人生が豊かになるのなら安いものである。

幸せへのチケットは、到着するまでに一週間近くかかった。通販にしては遅いほうだ。注文したことなどすっかり忘れていてたものだから、届いた時にはProenza Schouler のバッグか、Cheap Mondayのボトムスだと思って、浮かれ気分で明日のコーディネートを考えてしまった。着る毛布だったとわかった時は、正直ちょっとがっかりした。

熱は冷めてしまっていたが、一応着てみることにした。

もっと分厚いものを想像していたのだが、実際はぺらっぺらだ。薄さといい、触り心地といい、まさに飛行機で貸してくれるブランケットそのもの。ただ、着ることができるというだけで。

どんな体型の人にも合うためなのだろうか、袖と袖の間の距離がやたらとあいている。そのせいで、余った布が首のところでたるんでしまい、風を通すのなんのって。首元に関して言えば、パジャマを二枚重ね着したほうがよっぽど暖かい。

背中にボタンも何もないから、後ろ側だけスースーするのも気に入らない。まさしくびんぼっちゃまだ。もしもこれを着ている時にたまたま誰かが家に入ってきたら、あるいは、着ている時に地震があって、そのまま外に逃げ出したら、とりあえず「落ちぶれてすまん」と言っておくだろう。

足を入れるポケットのようなものがついていて、それは確かに暖かい。だが、移動するときにいちいち足を出さなくてはならないのが面倒だ。

丈もやたらと長く、歩く時に邪魔で仕方ない。届いて数時間で何度転びそうになったことだろう。

なんだか文句ばかり言ってしまった。確かにこれを着ていることで不便に感じる点は多い。しかし、それらを補うほどの、いや、それ以上に素晴らしい点もあるのだ。

着る毛布というやつは、座っている分にはそれほど優れたものではない。この際それははっきり言っておこう。だが、寝転がっている時、それも、布団の中で本を読んでいる時には絶大な効果を発揮するのだ。

ベッドの上で、本を読むこと。これは私の人生でもっとも幸せな時間の一つである。しかし、冬場は布団から出た腕や胸元が寒かった。冷たい外の空気が布団の中に入ってくるのも不快だった。だからといって、厚着をすると窮屈で、リラックスすることができない。何かいい方法はないものかと思っていた。

この時間をより快適にすることができれば、人生勝ったも同然だ。そして、着る毛布を手に入れたことによって、私は勝者になったのである。

テレビ通販なんて大げさだと思っていた。しかし、一概にそうとも言い切れないようだ。

欲を言えば、これを飛行機で貸してくれたらどんなにいいだろうかと思う。二回も三回も「May I have a blanket ?」と言うのでは骨が折れる。その発音ばかりよくなったってあまり意味が無いではないか。

好みすぎてやってられない。

 
 



DIESELのホーム・コレクションがえらく好みだ。いちいち凝っていて素敵だ。好みすぎて、ただ見ているだけで、誇張でなく本当に涎が湧き出てきた。もしも私が部屋にこだわる人種だったらいくらでも欲しいわよ。


だが、残念ながら、コードだらけの我が家をかっこよく見せるのも(私のやりたいようにかっこよくみせるのは)難しい。こんないいものがあったって不釣り合いなだけだ。


こういう時、貢ぐ相手のいる人は幸せだと思う。自分には似合わないけれど欲しくて仕方ないものって確実にあるもの。


誰かの誕生日祝いはここの物で決まりだな。はたしてこういった趣味の知人がいるかが問題だが。


DIESELのギャラリーもそういえば行ったことがないので近日中に出かけてみるか。


ショップにホーム・コレクションが売っていたら衝動買いしてしまいそうで怖いな。


もーう、気が変になりそうなくらい好みなんだよなあ。

Monday, November 29, 2010

ああ、太った。



今私は、人生のうちで最も太っている。

薄々感づいていたので、体重計には乗らなかった。数字にこだわる私のことだ。知ってしまったら拒食症になるにきまっているからだ。

そうは言っても、ここ最近の体の重さはちょっと普通ではなかった。」そして、写真に映った時の二重顎!尻から太ももにかけてにいたっては、もう恐ろしいことになっている。力を入れても尻が掴めるのだ。感触も、THE尻!という感じなのだ。

これはまずい。本気で痩せなくてはただのでぶになってしまう。大柄のでぶは悲惨だ。

よく「少しくらい太っていたほうが男受けがいいよ」と言う。何を隠そうこの私も、痩せたいと嘆く友人にそう助言していた。だが、今思えば、本心からではなかった。彼女がダイエットをしてしまったら、連れ立って美味しいものを食べに行くことができなくなる。つまり、私自身が一人では行けないような場所に好きなものを食べに行けなくなると困るからそう言っていたのだった。

男受けが何だというのだ。そんなもの、豚に食われてしまえばいいんだ。そういったことを気にするのは、ある程度もてる人間のすること。私には関係のない話だ。

そういえば、少し前にもダイエットをしたのだった。病気で胃が小さくなったのを機に、痩せられるところまで痩せてみようと思っていた。まあ、それもそう長くは続かなかった。美味しい物を食べる快感には敵わなかったのだ。

どんなに気が進まなくても、現状を知る必要がある。そうでなくては対策の取りようがない。そう考え、五年ぶりに体重計に乗ることにした。

思ったほどではなかった。だが、普段より2kg近く重たかった。つまり、小太りの母親と同じ体重ということだ。私は身長が高いからまだいいものの、数字だけ言ったら相当なでぶである。

肉が二キロ。2kgといったらけっこう重い。2kgの物を持って歩く事を考えてみてほしい。最近の私はぞっとそうだったのだ。疲れるわけだ。

どうしてそんな余分なものをひっつけていながら、今日まで気がつかなかったのだろう?気がついてはいたが、それほど危機に感じていなかったのか?

思うに、以前とは肉の付き方が変わってきたから、気づくのが遅くなったのだろう。

私はもう若くはない。みさえなんて、私の年齢の時には、すでにしんのすけがいたのだ。

そして、彼女は「ケツでかおばさん」と呼ばれていた。

二十代も後半に近づくと、尻のあたりに肉がつくようになるのかもしれない。
この間までは、真っ先に顔や二の腕についたものだから、わりと早い段階で気がつくことができたのだろう。

尻と太ももだとそうはいかない。年中まわしでも締めていない限り。

病気と肥満は早期発見が大切だ(度が過ぎる肥満もまた病気である)。

そうでなくても私の家系は太めの人間が多いというのに。むしろ、これまで何の意識もせず普通体型をキープできたこと自体が奇跡なのだ。

これからはしっかりと自己管理しなくてはならない。今度こそは本気だ!

告知



十二月十二日(日)に、新宿のピンキーズというスタジオで撮影会があります。

詳しくはこちらのサイトで。

http://www.pspk.jp/pg58.html


その前日、十二月十一日が今となってはあまりおめでたくない私の誕生日です。

四捨五入すると三十歳になる私を、もしよろしければ見物しにきてくださいな。

以上、告知でした。

何だかすごい。この動画。



そして、こっちもすごいと前々から思っていた。全然系統は違うが。

Saturday, November 27, 2010

関節リング



最近の流行りなのか、関節リングが売っているのをよく見かける。

私はこういうデザインのものが大好きで、すでに三つくらい持っている。

まあ、そのうちの一つは売ってしまったのだが。

たまたま同席した方が、変わったデザインをえらく気に入ったらしいので。何にせよ、他人に持ち物を褒められるのは悪い気がしないから。自分が気に入っているものであればあるほどに。

関節リングはその人以外にはまったくといっていいほど気に入ってもらえなかった。
きっと大抵の人は、それをつけた指で殴ったら凶器になりそうなものを褒めたりはしないのだろう。

だが、そこがいいのではないか。殴られたら痛そうなところが。法律がなければ、実際に殴ってみたいもの。とくに、頭にきた人間の睾丸だとかを。絶対にすっとする。

関節リングに限らず、私はこういった強そうなものが好きだ。鎧っぽいものなんて最高だ。

今期、シャネルから出ていた、プレートのついたブーツなんて、もう欲しくて欲しくてたまらない。

両腕にシルバーのぶっといバングルをつけるくらいのことなら、もうすでにやっている。

本当はプレートつきのジャケットが欲しい。去年、あれだけパワーショルダーが流行ったのだから、その流れで出てくれるかと期待していたのに、結局売っているのを見ることはなかった。

だが、ファッションで鎧のエッセンスを取り入れるのもいいのだが、本当は鎧そのものが欲しいのだ。

家にあったら絶対に邪魔になるだろうが、家にあったら毎日楽しく過ごせるだろう。誰かが遊びに来る予定の時、鎧の中に隠れて、急に動き出して驚かすのが夢なのだ。

永沢君が羨ましい。彼は、新築祝いに花輪クンから鎧をプレゼントされたからだ。

私もいつかあれを手に入れたい。できれば、古道具屋で四万円くらいで売っているのに出くわしたいものだ。

日本のものだと、このような甲殻類の兜もすごく可愛いと思う。

私は今時珍しいくらいに戦国武将に興味の無い人間なのだが、これに限っては、眺めているだけで心を躍らせることができるのだ。

関節リングの話からずんぶん変な方向に発展してしまったが、とにかく私は強そうな命なきものに弱いということだ。

Wednesday, November 24, 2010

読書の時間


たとえば読書が趣味ではなくて、今現在夢中になっている本が一冊もない人生とはどんなものなんだろう?

ふとそんなことを考えてみた。

そういう人は、移動中やちょっとした空き時間に、いったい何をしているのだろうか?

トイレで「大」をする時、何かをインストールしたり、ダウンロードする時、病院で順番を
待つ時、暇で暇で辛い思いをしないのだろう?

人と待ち合わせをしていて、相手が遅れて来る場合はどうするのだろう?十分くらいならまだいいが、三十分、一時間と待つことになったら、はたして耐えられるのか?

そもそも、そういう人はいかなる場合でも待ち合わせに遅れる側なのか?

考えても答えは出ない。

まあとにかく、私にはいつだって読みかけの本があるので、突然の空き時間というのは、けっこうありがたいものだったりする。「遅れる」というメールをもらうと、でかした!と思うくらいだ。

読書が趣味だと、当然本を読むことが楽しくて楽しくて、走り回りたいくらいに大好きなのだが、本を選ぶこともまた、大大大好きだ。

以前は古本屋で買うことが多かったが、今はもっぱらアマゾンだ。

毎月、万冊が五枚は消える。けっこうな出費だ。なるべく安く済ませたいので、中古品を買うようにしている。いや、していた、と言ったほうがいい。

私が欲しいと思う本は、基本的に古い作品だ。しかも、海外の翻訳物ばかりなので、新品では売っていないものも多い。中古の、それも馬鹿みたいに高いものを買わされることもしばしばだ。そして、信じれれないくらいに汚い。臭い。読んでいるとかゆくなりそうなほど。

それは仕方が無いと思う。臭ければ鼻息をしなければいいし、ついつい食べ物に手が伸びてしまうのを防ぐ役割も果たしてくれる。かゆくなりそうなことは多いが、実際はかゆくなんかならないし、もしもなったら、薬を塗ればいい。

問題はそんなことではない。

古い本は字が小さいということだ。

前はそれほど気にならなかった。もしも、昔の字の小さい物のほうが安ければ、絶対にそっちを注文していた。どちらでも読めば同じなのだからと。

だが最近は、もしも在庫があるようならば、少しでも文字の大きそうな、新しい物を買うよう心がけている。

読書というのは他人に迷惑のかからない、好ましい趣味だと思うが、目には極めて良くない。現に、日に日に目が悪くなってきている。

文字の大きさも大切だが、書体にはもっとこだわっているかもしれない。

同じ明朝体でも、自分好みのものと、そうでないものとがある。

女性向け小説などに多い、独特の書体がある。今、手元にそのような本がないので、うまく説明できないのだが、妙に柔らかい、フェミニンなあの書体だ。いろいろな種類があるが、共通して言えるのは、はっきりしない女々しさだ。

あれは気持ちが悪くなる。

『高慢と偏見』も、『悲しみよこんにちは』も、『アンナ・カレーニナ』も、私が読んだ物はフェミニンな書体だった(同じ物ではなかった気がするが)。

集中してしまえばいいが、それまでが本当に辛い。胸の奥がむずむずして、無性にいらいらさせられる。

だが、それもまた読書の楽しさ、奥深さだったりもするんだよな。

Monday, November 22, 2010

お知らせ。







発売中の文芸誌『en-taxi』にちょこっと書かせていただきました。
[en-taxi’s Column フワッ!&ガチッ!]のコーナーです。

まあ、私のコラム云々は抜きにして、この雑誌自体がすごく面白いので、是非とも買ってみてください。そして、読んでみてください。

Saturday, November 20, 2010

他人と眠る


寒くなってきた。昨日なんて、ファーコートを着ていても寒かった。

冷え性の人間にとっては辛い季節の到来である。

こんな時期は、「人肌が恋しい」と言う声をよく聞く。

いや、何もこの時期に限ったことでもない。寒かろうと熱かろうと、多くの人にとって、一人でベッドに入るのは気が進まない夜があるらしい。誰でもいいから(できれば異性に)横で眠ってほしいというのだ。

その気持ちが私にはまったくと言っていいほど理解できない。

何が悲しくて他人と眠らなければならないのだ?それも、同じベッドで。
もしも急に他人の家に泊まることになって、布団の用意がないから仕方なく同じベッドに二人が眠る。勿論互いに乗り気ではない。できれば別々に眠りたいと思っている。そういうことならまだわかる。私だってその場合はやむを得ず狭い空間に我慢するだろう。

だが、わざわざ好き好んで、立派なベッドが二台もあるホテルの部屋などにいるのに、わざわざ一台のベッドに二人が眠る理由がわからない。凍えそうに寒いのならまだしも、夏にでもそうする人もいるらしい。実際に見た事はないが、物語の中で男女はたいていがそのように眠っている。

そういったシーンを見る度、憤りを隠すのが難しくなるのだ。

私が見たり読んだりする、異国の物語に出てくる部屋は、私の家に比べるとはるかに広い。そんな恵まれた環境に住んでいながら、故意に狭っくるしいところで眠るなんて、狭い家に住むしかない人間を馬鹿にしているとしか思えない。

もしも私がああいった豪華な家に住めるという幸運に見舞われたなら、同居人とはなるべく離れた部屋で眠るに違いない。

他人の気配は、落ち着いた眠りの妨げにしかならないからである。

人肌というものも、私はどちらかといえば忌み嫌っている。

考えてもみてほしい。人肌の場所にいれるか?人肌の風呂に入れるか?人肌の食べ物が美味しいか?

絶対にそんなことはない。

生温い物は気持ちが悪い。自分の体温と違うからこそ、人は心地よいと感じるのではないか?少なくとも私はそうだ。

人の寝息というものも、気になって眠るには都合が悪い。それに、途切れると、死んでしまったのかと恐ろしくなってしまうので、せっかく眠ることで疲れやストレスを解消しようとしているのに、逆効果になってしまう。

だが、どれだけ他人と眠るのを拒んでいても、部屋の構造上やむを得ないこともある。

そんな時の解決策は一つしかない。

一緒に寝る人間とは反対向きに、つまり互いに相手の顔の横に足先がくる体勢になるのだ。そうすれば、同じ方向を向いて眠るよりもお互いが気にならないし、息の音や臭いも気にならない。髪の毛を洗っていなくても大丈夫だ。

だが、そうする際には足だけは綺麗に洗っておかなくてはならない。そして、水虫の人間や寝相の悪い人間とこの方法で眠ることだけは、絶対によしておいたほうがいい。

Tuesday, November 16, 2010

カラオケ



ここ最近私は、好きな歌のカラオケバージョンをダウンロードすることに凝っている。それでも十分歌えるのだが、やっぱり実際にカラオケボックスに行く楽しさにはかなわない。

家だとどうしても遠慮してしまうし、マイクだって使えない。デンモクで選曲する楽しさも味わえない。

小学生の頃から、本当にカラオケが大好きだ。ひと月も行かないと、禁断症状が出てしまう。

歌うジャンルは古い洋楽が50%、新しめの洋楽が10%、古いアイドル歌謡曲が20%、古い普通の歌謡曲が15%、演歌が5%。新しい邦楽はほとんど歌わない。

洋楽が多いのは、聴くのがそっちだということもあるが、単純に歌うのが楽だからだ。洋楽といっても、英語の曲しか歌わない。息がスムーズに流れて声を乗せやすいのだ。声量が物を言う曲も邦楽よりは多いので、歌っていてすっきりするということもある。それに何より、英語の歌は喉に負担がかからない(気がする)からいい。扁桃腺の弱い私は喉を悪くしたら高熱に苦しめられることになるのだ。

私の選曲は、当然周囲からは微妙な顔をされる。時には笑われる。年齢を疑われる。おっさんと付き合っていたの、と言われる。これでは同年代のノンケとカラオケをする気になれない。まあ、例外もいるけれども。

そんなものだから、カラオケボックスに一緒に行くのはたいてい母親だ。

ダスティ・スプリングフィールドが誰だか分かってもらえるのって、例えようもないくらいに嬉しい。

しかし、母親とのカラオケにも難点はある。彼女はどういうわけか日本の歌謡曲をあまり知らないのだ。本当はもっとムード歌謡を歌いたいのに。

老人のカラオケ友達がほしい。

だが、私は歌っている時の姿がすごく変なので、できれば気心の知れてない人とはカラオケに行きたくないのだ。

私はあまり画面を見ない。邦楽の場合は歌詞を覚えているし、洋楽の場合でも、なるべくフレーズの最初だけしか見たくない。カラオケの画面というのは、首を真っ直ぐしていてちょうどいい場所にないことが多い。首が痛くなるし、それでは声も出づらくなる。

そのかわり、写真のように壁を見ながら歌うのだ。目を閉じるのはまたよくない。重要な場所に響きが集まらなくなる。響く場所が分散すると、声が聞こえにくくなり、その結果大声を張り上げてしまうので、また喉に負担をかけてしまうのだ。

こうやって書き出してみると、私は随分声の出ばかりにこだわっている気がする。もっと歌詞の美しさ、日本語の情緒みたいなものを大切にしたほうがいいのかもしれない。

だがまあ、今のままでも別にかまわないだろう。負担無く声を出して、いかにすっきりするかが、素人がカラオケに求めることなのだから。









Monday, November 15, 2010

シェイクスピアに凝る季節


シェイクスピアにはまってしまった。とはいっても、まだ有名どころを八つばかりしか読んでいないから、あれこれ言えたものではないのかもしれないが。
しかし、どれを読んでも好みだったので、これから更にどっぷりはまることは間違いないだろう。

そういえば随分昔、演劇漫画に影響されて、シェイクスピアの戯曲をいくつか読んだことがある。だが、その時はあまり良さがわからなかった。きっとその時はまだ、自分の中にあるおばさんの種を否定していたからだと思う。

しかし、おばさんに近づきつつある今、急にあの通俗性がたまらなく魅力的に思えてきたのだ。

誰が何と言おうと、シェイクスピア作品の魅力は通俗性にある、と私は言いたい。

悲劇は昼メロのごとく、喜劇はトレンディ・ドラマのごとく。

どの作品にも出てくる出てくる。駄洒落と下ネタ、もっと言えば親父ギャグ。差別に暴力、拷問、禁断の愛、親子の確執、相続争い、嘘と浮気とでっち上げ。

ワイドショー好きにはたまらない。

俗っぽい、しかしそれも言い換えれば、普遍的なテーマを扱っているということ。

だから今もなお、世界中で親しまれ続けているのだろう。

現代版リメイクも数えきれないほどあるので、今更誰も作らないだろうが、個人的には『マクベス』をこんな風に、いかにもおばさんが好きそうなリメイクをしてほしい。

店のナンバー3ホストのマクベス。ある日彼は店のボーイか何かと飲みに行った帰り、占い師の婆さんに「あんたはじきにナンバー2になり、いずれはナンバー1になるだろう」と言われる。
同僚のほうは、「あんたの紹介した男はナンバー1になるだろう」と言われる。

店に戻ると、これまでナンバー2だった男が、売り掛け金を踏み倒され、行方をくらませた
と聞かされる。そうしてマクベスはナンバー2になる。

彼は、恋人と協力してナンバー1ホストを殺し、かねてから憧れていた地位にのし上がるのだが……。

こんな『マクベス』をできれば昼ドラかレディコミで見たい。

ホストではなく、普通の会社のほうが個人的には好ましいのだが、きっと多くのおばさんは顔のいい若手俳優がわんさか出てきたほうが楽しめるはずなので、ここは一つ譲歩する。

あ、昼ドラやレディコミもいいけれど、やっぱりシェイクスピアらしく舞台劇もいい。

すでにどこかの劇団が企画しているかもしれない。調べてみる価値はあるな。

Saturday, November 13, 2010

巨乳レストラン



ついに昨日、話題のレストランHOOTERS TOKYOに行ってきた。

五時過ぎに赤坂見附に着いたので、金曜日だというのにほぼ並ばないで入る事が出来た。これが七時過ぎだったら、三時間待ちも珍しくはないらしい。
さすがにそこまではできない。

なんでそれほど人気なのか、大抵の方はわかると思うが、まだご存じない方のために一応説明しておこう。

HOOTERSは、一種のファミレスらしい。いや、あそこが家族で行くのに適しているとは思えない(実際家族連れなど一組もいなかった)。ともかく、ファミレス並みにカジュアルなレストランであることは間違いない。店内ではサッカーが流れており、カウンターもあるので、スポーツ・バーといった感じでもあった。

それにしては高い。ハンバーガー千五百円、サラダ千円、シュリンプ千二百五十円。確かにヴォリュームはすごい。これぞアメリカン・サイズ。とはいっても、食材はお世辞にも高級とは言えない。味も、もろにアメリカ風で、日本人の間では好みが分かれそうだ。

だが、それでも客は満足げに帰っていく。リピーターも多いだろう。

なぜなら、この店のウエイトレスは、全員が画像のようなコスチュームを着ているからだ。

ぴちぴちの彼女達だが、採用基準はただ若いだけではない。なんと、Dカップ以上が採用条件だというから驚きだ。

注文した物を運んでくる時、テーブルを拭いている時、弾力ある胸が揺れるのを拝める仕組みになっている。

胸だけではない。動く度にホットパンツが上にあがり、半ケツになるのだから、目を動かすのに忙しく、食事するのも忘れてしまうほどである。

彼女達を見ていると、それほど口に合わないメニューも美味しく感じるのだから、不思議なものだ。

まさしく、夢のような空間かもしれないが、不満もある。

そもそも私がHOOTERSに行ったのは、巨乳の外国人を見たかったからだ。
金髪のチアリーダー風、ラテン系濃厚セクシー、恵まれすぎたスタイルの黒人、雑誌の中でしかお目にかかれないような美女達をこの目で見たかった。ストリップ・バーのような場所ではなく、健全な空間で。おおっぴらに見たかったのだ。だから、オープンしてからそれほど時間が経たないうちに行ったのだ。助っ人でもなんでも、外国人がいそうだから。

が、残念なことに、HOOTRES TOKYOには外人ウエイトレスの姿はなかった。イラン人と日本人のハーフという子はいたが、完全な外国人ではない。やはり、次にアメリカに行く機会に本場HOOTERSに行くしかないのだろう。

まあ、いずれにしてもまた行ってみたいと思う。ああいうお色気っていい。性に合っている。

情緒に訴えかけるいやしいエロスではなく、ダイレクトに視覚にうったえる健康的なエロス。やっぱりこうでなくちゃ。

エロスは、善というよりは悪に近いと私は考えている。それを情緒という糖衣で覆うのでは芸が無い。エロをたくみに健康にすり替えて、明るい、偽善的なものにしてしまおうというほうが、よっぽど奥が深い。

私もそういったエロスを勉強したい。そのためにも、海外通販でHOOTERS GIRLSのコスチュームを買わなくては。

まあ、あと半年もすればドンキホーテなどで大量に売られるようになる気もするけれど。

Wednesday, November 10, 2010

デコトラとヤンキー




デコトラっていい。すごくいい。

うんと幼い頃から気になって仕方がなかった。

街でデコトラを見かけると、むずむずした気分になった。腹の中がかゆいような気分だ。そして、その感じは案外心地よかった。

デコトラに乗っている人はいかなる時も元ヤンだった。そうでない場合もまれにあったのかもしれないが、あれに乗っているというだけで、その昔は鞄を薄くしていたんだな、と思わせるに十分だった。

小気味よい悪趣味。デコトラの魅力を語るうえで、これは欠かせない。すれすれ、というのではなく、もう突き抜けている。ドラァグクイーンを好きだと思う感覚に似ている。

多くの子どもは、粋だとかそんなことは気にせず、好きなものは片っ端から身につける。多くの子どもが多くの大人になるわけだから、トゥー・マッチな装飾を求めるのは、大半の大人にとって本能なのだと思う。

そういう理屈ならば、多かれ少なかれ、みんなデコトラを心のどこかではいいな、と思っていることになる。むしろ、そうであってほしい。

中でも私は特殊なほうなのかもしれない。

私は、デコトラのヤンキー趣味、極道趣味に、浮世離れした凄みを感じるのだ。

反抗期のなかった私は、ヤンキーとは無縁の人生だった。ぐれていられるほど裕福でもなかったし、人と群れることができるような協調性も持ち合わせていなかった。

周囲にヤンキーがいなかったわけではない。だが、当然のごとく、彼らと共通の話題など何もなく、そのためお互いに無関心だった。

彼らは青春を謳歌し、私はその対極にいた。

あの独特のファッションを、キティちゃんの便所サンダルを、細い眉毛を羨ましいとは思わなかった。だが、興味がないわけではなかった。私にとってヤンキーは、まるで異国の人だった。

物事のけじめにこだわり、似たタイプと早くに結婚し、出産する。いちいち熱い人生。

実際のヤンキーがみなそうだったわけではないだろうが、少なくとも想像の上では彼らは徹底して紋切り型でなければだめだった。

元ヤン一家のことを考えるのは楽しかった。実際に見た事が無い分、イメージはどこまでも膨らんでいった。

彼らの住まい、着ている服、子どもの数、食事風景、彼らの両親、育った環境、子どもへの教育、後ろだけ長い髪の毛、中年以降の体型、旦那の浮気、会話。

いろいろなパターンを考えたが、旦那の職業は基本的にはトラック運転手、それもデコトラの運転手だった。

そして、妄想は元ヤン夫婦から、旦那のデコトラ仲間へと飛び火するのが通例だった。しかし、いつもそこで足止めをくらった。

デコトラ運転手の生活がまったくわからなかったからだ。デコトラの内側がどうなっているのかもわからなかった。これでは考えようがない。

そう思い、デコトラ写真集を買い、『トラック野郎』を観て、デコトラ雑誌を読み、情報を集めた。

そして私は最近、ますますデコトラが好きになった。

あまり走っているのを見かけなくなってしまい、心底悲しんでいる。

そんなこんなで、人生の目標が増えた次第だ。

いつかはデコトラに乗ってみせる!