Friday, April 30, 2010

またツイッターで言えばいいようなことだが

Foto:




 いやはや、これは一体……。
いや、もちろん偽物ではないと思うが。売るのかなあ、これ……。
あかんべえしている油揚げに見える。


これを売っていたら、パリの外観がどうこうなんて言っていられないんじゃないか?
七万円くらいなら欲しいけれど。



おお、みさえ

 こんなことはツイッタ―で言えばいいのかもしれないが、たまたまネットを見ていたらこいつが出てきたので、思わずブログに書きこみます。

この鞄も欲しい。とにかく最近鞄が欲しい。ニューヨークに行けば安く買えるのだが、今欲しい。

だってこの鞄、すごく「みさえ」なんだもの。

Thursday, April 29, 2010

おフランス

まだまだ先の話だが、秋頃にフランスに旅行をすることになった。
なぜフランスか?というと、それは非常に情けない理由だ。単純に安かったのだ。というか、とにかくヨーロッパに行きたくて、とくにスペインとオランダに行きたかったのだが、これらの国はやや旅費が高かった。イタリアも高くはなかったが、フランスはとりわけ安いものがあった。それが決め手になったのだ。

フランス行きを決めて、予約金も支払ってから、行ったことの会う人に会うたびに「パリはどうか?」と訊きまくったのだが、みんな口を揃えて「人が冷たかった」と言う。
しまった。他の国にすればよかった。だが、今さら変えられない。

聞くところによると、パリの人たちは知っているにも関わらず、英語を話してくれないらしい。そりゃ、私は英語なんぞろくにしゃべれないが、それでもどんな単語もちんぷんかんぷんなフランス語よりはいくらかはわかる。

今からフランス語に慣れなくては、不愉快な思いばかりする、散々な旅行になるかもしれない。そう思って、まずはフランスの音楽を聴くことから始めた。

フランソワーズ・アルディについてはたいして知らなかったが、この曲は好きだった。

まるで日本の歌謡曲みたいで、すごく親しみやすいいい曲だな、と思っていた。どう考えてもユ―ミンっぽいだろう、とも強く思っていた。ウィキペディアによると、
「日本でも荒井由実の「私のフランソワーズ」はアルディを歌ったものであり、彼女が作ったまちぶせはComment te dire adieuの翻案とも言われる」とのことなので、私の勘もこの件にそれほど悪くはなかったようだ。

シルヴィ・バルタンはもともと好きだった。



アイドル歌謡曲っぽい曲が多いからだ。なんと彼女は、中島みゆきさんの『悪女』のカヴァーもしている。聴いてみると、やはり日本語版に慣れているせいもあって、違和感は否めない。

フランス人が歌っていなかったように思うが、映画『なまいきシャルロット』の主題歌もダサさ加減がたまらなく好きだ。男性パートはフレンチ・ポップスには珍しく歌唱力抜群だし。

そうなのだ。フレンチ・ポップスが親しみやすい理由は、曲調もあるのだろうけれど、たいていの人が日本のアイドルくらいの歌唱力だからでもあると思う。アメリカ人なんかは、なんだかんだいっても上手いんだもの。
だが、フランソワーズ・アルディの英語版を聴くと、それなりに上手い。もしかするとフランス語って上手に歌うには向かない言語なのかもしれない。中国語もそのように思う。

あくまでも私基準だけれども。私の、歌が上手いなあ、と思う基準は声量があって安定感があって、発音が明瞭なことだから。

イタリア語は英語よりも更に上手く聞こえる気がする。少なくともコニ―・フランシスは、イタリア語で歌ったほうが声がよく出ている。

もっとフランスの歌を聴いて、フランス語に親しむんだ。

話は戻るが、フランス人は美意識の高い人たちだから、街にそぐわない格好をした観光客をあまり快く思っていないとも聞いた。日本人はもろに観光客でござい、という格好をすることもあってけむたがられるらしい。ルイ・ヴィトンの売り上げを支えているのが日本人であろうとなかろうと同じことなのだろう。

私だって他人に敬意を払わない人間にはかちんとくる。せっかく伝統あるきれいな街並みなのに、とんちんかんな格好の観光客にうろうろされたら、確かにいい気はしないだろう。

むこうに行くからには服装問題も視野に入れておく必要があるだろう。

とりあえず、カラフルな洋服はよくないように思う。パリの人ってなんとなく地味なイメージがある。モノトーンにベージュ、柄といえばボーダー。

フランス映画なんかを見ても、庶民は地味な格好をしている。普遍的な格好とでも言うのだろうか、今だってそのあたりに売っているような衣装を着ているのが、昔のフランス映画の特徴の一つだと思う。

私の普段着はどうだろうか?街並みにミスマッチではないだろうか?バックにシャネルが映っている写真があったから変じゃないか確認してみた。しかし、よくわからなかった。






そういえばこの日は、久しぶりのショッピングだったから浮かれて、例によってセルフタイマーで写真を撮りまくったんだった。ついでだから他のものも載せておく。




これではプラダで買った人みたいだが、持っている袋はドリス・ヴァン・ノッテンというところのものだ。しかし、この建物って危ないよな。店の前に無駄な斜面があるのだから。自転車ですっ転んで死ぬほど恥をかいた嫌~な思い出がある。


なんだか妙な内容になってしまったが、これからはなるべく着ているものを写真におさめておいて、日本にいる時も街とのバランスを考えてみよう。だからといって、日本国内でわざわざバランスをとるつもりはない。我が国では日本語しか話さないのだから関係ない。

あと、思ったのだが、フランス人が英語を知っていても話さないのは、標準語に直すつもりがない関西人の心理に近いものがあるのだろうか(何を隠そう、私にもいくらか関西人の血が流れているのだ)。

他人の領土にずかずか入りこんできて、違う言葉でべらべら話しかけるのって、考えてみたら失礼な行為だ。妙な格好でうろうろされるのと同じくらい、いや、それ以上にフランス人にとっては不愉快だよな。

さあ、とにかくいろいろな方面からフランスに慣れていって、充実した旅にしようではないか!

Wednesday, April 28, 2010

う……


昔のミッフィー。いびつ。怖い。
だいたい口が×なんて気味が悪い。喋ってはいけないだなんて奴隷よりひどい扱いだ。
あ、でもミッフィーってしゃべるんだった。どこから声が出ているのさ?

Posted by ShoZu

Tuesday, April 27, 2010

ポストって


見ていると興奮する。赤いから?

Posted by ShoZu

テスト

できるかな?iPhoneから更新

Posted by ShoZu

Sunday, April 25, 2010

本日の……


秋葉原アラジンさんでの撮影会に参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。

部こうやってブログで感謝の念を述べるのって久しぶりですが、撮影会ってやつは毎回非常に楽しめております。

毎度ありがとうございますですます。

甘味などをいくつもいただきまして、脳の疲れにいいと思うのでここのところ一切休んでいない身としては大変助かります。

来月も、まだ確定してはいないのですが、5月23日(日)にも、ホットバーニングというところで撮影会を予定しています。ホットバーニングの詳細はこちら↓

                    http://www.hot-burning.tv/top.html
18禁の会なので、それだけはよろしくお願い致します。

気が向いたらのご参加、お待ち申しております。

Friday, April 23, 2010

腰痛体操


実家にこんなものがあった。やたらインパクトがあるのだが。親よ、腰痛に悩まされていたとは……。実は私もなんだよ。やっぱり遺伝だったんだなあ。



それにしてもこの服装は……。明らかに80年代だよな。

ハイセンスなロンドン娘やオタクならば2010年現在もこういう格好しているけれどさ。

ネルシャツは別にいいんだ。流行っているし、ユニクロのものなんて安くて種類だって豊富だし、コーディネイトしやすいし、私も愛用しているのよ。

ただね、こうやって裾を結ぶのは、最近また流行っているようなのだが、やっぱり街中ではあまり見かけない。

スキニーデニムなんて、ここ何年もずっと人気があってもはや定番だけれど、なんなんだろう?着こなしとしては特別変わってもいないし、そもそもアイテムはどこにでもありそうなもので固めているのに。この古臭さはどこからくるのだろう?

やっぱり髪型だろうか?薄~い前髪から好景気の匂いがぷんぷんするよ。あ、それから眉毛も。当時は下がり眉の人が多かった。今全然いないのは、みんな整えているからだろうか、やっぱり。

フレッド・アステアばりの靴下の差し色もなんだかすごいと思う。当時、実際にこういう小技をきかせていた人って本当にいたのだろうか?

このくらいの時代の文化はずいぶん研究したつもりでいたけれど、このテクニックにお目にかかるのははじめてだ。それとも私の勉強不足なのか?


表紙も素敵だが、中身もいい。

ほら!このレオタード姿!!




こういう、つやっつやのストッキングって今はどこに売っているのだろう?レースクインなんかもこれで美脚をめいっぱい強調していたよな。

続いてはこんな写真。
おそらく重たいであろう物を持ち上げようとしている。多分「10kg」と書いてあるのだろう。

『シティハンター』でもこんな感じで重量の書いてある巨大ハンマーみたいなものが出てきたように思う。エッチなことをしたり考えたりすると、女の子が振り下ろすんだよな。

あ、ちなみにさっきのものは「良い持ち上げ方」らしいですよ。


悪い例は見当たらないんだよな。どんな持ち上げ方が悪いのだかすごく気になるのに。予想では、膝を伸ばしてへっぴり腰になった持ち上げ方持ち上げ方が悪い例なんだと思う。

ちなみに車の運転をする時の良い例と悪い例もある。

これ以上腰痛が悪化しないよう、くれぐれも気をつけたい。この小雑誌を参考に、ほどほどに参考に、暮らして行こう。

しかしなあ。なにがどうしてレオタードなんだろう?読者サービスか?タンクトップと短パンでいいような気もするんだが。

面白いからいいんだけどさ。

これみたいに、一杯に販売していない雑誌やカタログがもっといっぱい読みたいな。

Thursday, April 22, 2010

トークライブ


堀江貴文さんのトークライブに行ってきた。

面識もなにもないのだが、知人に誘われたのでなんとなく行ってみた。またロフトプラスワンに行きたかったというのが一番大きな理由だった。

以前私もここでのトークライブに出させていただいたことがあったのだ。
すごく楽しかったなあ。あの空間はなんだか知らないがやけに居心地がよかった。食べ物も美味しかった。やっているイベントもマニアックなものが多くて興味深かった。

これからはちょくちょく遊びに行きたいと思う。

話はトークライブのことに戻るが、やはり面白い数時間だった。

みなさん話がうまい。笑わせようとして観客を笑わているのでえらいもんだなあ、と思った。私なんかぜんぜんしゃべれなかった。変なことを言ったつもりはないのに笑われて、芸や知識というよりは恥をさらしただけだったのだろう。それでもまあ、司会者の方がいたからどうにかなった。ありがたい。

こういう場合、飲酒する人は得だ。緊張しても、それを紛らわせることができるのだから。楽しく酔える人ならば、酒が入ると話すことも愉快になるだろうし。それにしても、どういう仕組みで酔っ払うのだろう?

一部の精神薬の中には、服用すると顔面が重くなるものがる。歯医者で麻酔を打って、それがちょっと変な部分にまで効いてしまった時のように筋肉が麻痺したような感じになる。だから呂律が回らなくなるのだろう。頭ではなく体がぼうっとする時があるが、あれは軽い麻痺なのではないかと私は思う。アルコールにも似たような作用があるのだろうか?

まあ、それはどうでもいいんだ。トークライブだよ、トークライブ。

話していた内容は主に、政治、経済、それから刑務所のこと。

刑務所の話ってつくづく勉強になる。

ご飯が意外と美味しいこと。差し入れの弁当のほうがよっぽどまずいということ。エロ本も読めること。自慰行為は禁止ではないこと。缶詰は房に持ち込めないこともあること。缶詰は、開ける時間も決まっていて、「かいか~ん」と一言いって開けなければならないこと。死刑囚になるとできることが増えること。慰問でやってきた芸人のお笑いを見ている時も、あまり笑ってはいけないこと。芸をするほうもやりずらいということ。東京拘置所で出るシチューはたしか四種類あり、生ものは生野菜ですらも出ることはない。北海道では刺身も出る。石鹸には「ATAMI」と書いてある。

いろいろわかった。無駄なことばかりかもしれない。しかし、もしもの時にそなえて知識を仕入れておくのは大事なことだ。

一番「へえええ」と思ったのは、堀江さんは獄中で13キロだか16キロ痩せたらしい。一年未満でそれだけ痩せるなんて大したものだ。

夕方六時以降は食べない、飲酒しない、規則正しい生活を送る。

昔から言われ続けていることだが、これがすっきりした体型になる秘訣らしい。

だが、こういっちゃなんだが、昨日見た限りだと堀江さんは、すっかりあだ名通りの体型に戻ってしまっておられた。無理もない。トークライブ中、壇上にいた誰よりもつまみを口に運んでいたもの。

校長先生が何回「え~」と言うかを数えるみたいに、数えてみようかと思ったが、あまりにも頻繁につまみに手が伸びるので、さすがの私も途中で断念せざるを得なかった。

政治、経済、刑務所内の話、本当にいろいろと勉強させてもらったが、一番勉強になったのは、それなりの体型の人はそれなりのカロリーを摂取しているということだ。

まことに実りあるトークライブだった。









Tuesday, April 20, 2010

お年より作文集



我ながらものすごくいい買い物をしたと思う。

お年よりの作文集なんてめったに手に入らない。それが偶然入った古本屋で売っているなんて、こんな時は運命があるって信じてもいいと思えてくる。

別に人生が変わるほど面白いものでもないが、読んでいるとなんとも複雑で、胸の奥がむずがゆくなるような楽しさがある。

内容はタイトル通り、作文と、それから俳句が少々。

生子さん(四三歳)、尚一さん(八三歳)、トメさん(八六歳)、貞さん(八七歳)、ふくさん(八九歳)、すえさん(故)、貞一さん(七三歳)、計七名のお年より(生子さんは年よりとは言えない年齢だが)の作文が載っている。

内容は六人が思い出話で、一人がゲートボールのことだった。

個人的に気に入ったのが、トメさん(八六歳)が書いた、『年を取るとけんかも楽しい』という、ほのぼのとしたタイトルがかわいらしい作品だ。

嫁入り前、渋谷に奉公に出ていた頃の思い出を綴っている。
話によるとトメさんは、同級生のおよしさんと一緒に上京して、家の人の反対を押し切って、渋谷のカフェで女給をしていたらしい。

それから先はカフェを登場させた意味なんてない展開だ。知り合いの孫じいさんの縁で嫁に行き、戦争がはじまったので疎開し、戦争が終わってからは、ただただ働いたという。
今はおじいさんと二人で、けんかをしながら楽しく暮らしています。年をとるとけんかも楽しいものですーーそんな風に作文は締めくくられている。

どうってことのない話だし、ちっとも読み応えなんてないのだが、それがかえって素人臭い味を出す結果となっている。しかも、聞き書きらしい。ちょっとがっかりだ。

だが、聞き書きにしろ何にしろ、お年よりの話に耳をかたむけるのは不快じゃない。

私は年よりと暮らしたことがない。生まれた時に祖母一人しか健在でなく、彼女にも数度しか会ったことがないので、老人に対し神秘的ともいえる幻想を抱いている。だから、年よりの話は貴重であり、お金を出して買うことになっても話を聞く価値があると思っている。

五百円という値段が高かったのか安かったのかはなんとも言えないが、ふつうなら売られていないことは間違いないので、いい買い物ができたと思っている。

買うほうも買うほうだし、売るほうも売るほうだ。本屋もそうだが、なにより面白いのは、買い取ってもらえると思って持って行った元の所有者だ。

小学生の作文だとか、学生の卒業文集もどこかに売っていないだろうか?

そういうものならちょっとくらい高くたってぜひ買いたいと思っているんだけれどな。

はいチーズ


写真をうまく撮れるようになりたいなあ。せっかく画像に強いブログに引っ越したんだから。

基本的に私は一人で行動するので、写真はいつも自分撮りだった。映画のウォーリーみたいで大変可愛らしいミニ三脚を買ってからというもの、セルフタイマーで全身を写すのに凝っているが、やはりそれだと限度がある。

どうやったら自分で自分をうまく撮れるんだろう?

人気のない所で写真を撮っていると、まちがって人がやってきた時にみっともないので、この頃は諦めて人通りの多い場所で撮るようにしている。それに、人がいっぱいいる場所で撮ったほうがなんとなく和風な写真が出来上がって面白いのだ。

よその人があやまって映ってしまっても、申し訳ないが、よほどのことがない限りそのままにしておく。以前みたいにアダルトカテゴリじゃないのって楽だなあ。

そういえば、以前とあるブログを見ていたら、どうみてもうちの母親らしき人が映り込んでいたことがある。

そうはいっても無断で他人を載せるのは、胸が痛むものなのだ。もしも不倫現場をカメラにおさめでもしてしまったら申し訳が立たない。

不倫は関係ないが、逆の立場だったらすごく嫌だな。
たとえやましいことがなくても、いついつくらいにどこどこで何をしていたというのが全国ネットで流れてしまうのだから。

そういうことが私は大嫌いなので、テレビカメラがいたら遠回りになってもわざわざ避けて通るくらいなのだ。が、写真くらいだったら、それもカメラをその辺りに置いて撮るセルフタイマーだと余計に、撮影しているのがわかりにくい。私と同じくらい映り込むのが嫌いなのに、たまたま映ってしまうかわいそうな人も出てくるのではないだろうか。

それはそうと、外国人ってあまり記念撮影をしないのだろうか?

自分撮りだろうと、同行者に撮影を頼んでいようと、彼らは笑うでも怒るでもなしに、メモでも取りそうな様子で、こちらをしげしげと眺めるのだ。揃ってその顔つきは、珍しいものを眺める子どもそっくりなのだ。いったいなんだというのだ?

日本人の多くは見て見ぬふりするのに。

ところで、はい、チーズってどういう意味だ?誰が何を思って考えた?

「チ-」と発音している時に、歯がのぞくから笑顔っぽくなると思った人がいるのかな?

それとも、まだチーズが高級品だったころにできた言葉で、チーズと聞くと思わず嬉しい気持ちになったのか?
  1.  

カプセルホテル


夜が遅く、朝が早い日があったので、あまり乗り気ではなかったが、カプセルホテルに泊まってみた。

入らなかったけれど、サウナつきでたしか一泊四千円くらいだった。あと二千円も出せば普通の安ホテルも泊まれたのだが、週末だったため、あいにく空室がなかった。

さすがに写真には撮ってくることはできなかったが、ホテル内はスーパー銭湯のような趣きだった。

館内での飲食は禁止されていたので、はりきって持ち込んだテキサスバーガーセットはエレベーターの前で食べることになった。たぶん同じような人が多々いるのだろう。ちゃんと椅子とゴミ箱まで用意されていた。

下駄箱に靴を預け、食堂やマッサージ・チェアの前を通り抜け、女性専用のフロアへと向かった。

やっぱりただの銭湯。アメニティセットもたいしたものが置いていないし、生理用品や化粧品の自販機もない。岩盤浴なんかとはだいぶ違っている。

とにかく眠りたかったので、コインロッカーに荷物を入れた後は、シャワーも浴びないでベッドへ直行した。

ベッドは奥の部屋にあった。ワインセラーみたいに暗くてじめじめしている。なんというか、ものすごく狭くて隣とも近い。これほどまでに簡易式だとは、と唖然としてしまった。

カプセルというくらいだから、一応壁くらいあるのかと思っていたが、隣とのしきりはただの厚手のカーテンだった。

部屋はしんと静まり返っているが、ときどき寝息といびきが聞こえる。ちょっと物音でも立てようものならリンチにあいそうなくらい静かだ。さっきワインセラーと言ったが、ベッドはほとんど棚にカーテンがついているだけのような代物だから、ここに十何人も人間が眠っているなんて、妙な感じがして、不気味ですらあった。

人間が宿泊しているというより、人間が収納されている、といった感じで、これ以上ないくらい無機質だ。刑務所なんてものじゃないかもしれない。

みんなクローンか何かなんじゃないかと思えてくる。彼女たちには人権なんてなくて、ただ用事を言いつけられるのを待っているのだ。

一度入ったら二度と出られなくなるような気がして、私はカーテンを開けるのにとまどっていたが、そうしている間にも時間は刻一刻と過ぎていくので、意を決して中に入ってみた。

無機質で味気ない外観と違って、カーテンの中は秘密基地みたいだった。

一畳あるかどうかも微妙で、座っていても窮屈なほどだ。だけど、そこがいいのだ。小学生に戻ったみたいにわくわくする。

ドラえもんに憧れて、押し入れの中で眠った過去がよみがえる。穴蔵に寝ているような錯覚に陥り、まるで大冒険で野営しているかのように思えてくる。

昨日の続きの本なのに、なにか特別なものみたいに面白い。東京のど真ん中にいるのに、とてもそうだとは思えない。

あまりの非日常感覚に、ものすごくわくわくしていたのだが、その興奮は眠気を妨げる種類のものではなかったらしく、普段より早く私は眠りに落ちた。きっと周囲に充満している強烈な眠気を含んだ空気のおかげだろう。

寝付きもよかったが、目覚めもさわやかだった。目覚ましが鳴る前に起床することができた。アラームをセットするのは禁止ではないらしい。私もそうだったけれど、不思議と他人のアラームでは目の覚めないものなのだろうか。

音を立てないように、こっそり支度をするのもまた楽しい一時だった。

はじめはどうなることかと思ったが、四千円を払ったかいはある一夜だった。

あのわくわくを味わうために、またカプセルホテルを利用してみるのも悪くない。





















Monday, April 19, 2010

似ている歌しりとり



似ている歌を考えるって楽しい。
それでしりとりしてみよう。似ている有名人しりとりも面白いが、今回は歌にしよう。似ているのは編曲でもメロディでも歌詞でもいいことにしておく。
どの歌から始めよう。
たまたま思いついた『再会』にしよう。恋人が刑務所に入ってしまう、暗い暗い歌。極道風の人が目についたので思い浮かんだのだろう。
さあ、始めるか。
『再会』→『奇妙な果実』→『悲しい酒』→『酒場にて』→『氷雨』→『居酒屋』→『アマン』→『北空港』→『銀座の恋の物語』→『二人の銀座』→『飛び出せ青春』→『青い山脈』→『リンゴの唄』→『リンゴ追分』→『岸壁の母』→『帰ってこいよ』→『好きになった人』→『お久しぶりね』→『かもめが飛んだ日』→『私はピアノ』→『勝手にシンドバット』→『あヽ夏休み』→『アイウィるサバイブ』→『異邦人』→『ミアモーレ』→『夢狩人』→『そそって』→『らいすらぼにーた』→『VALENTI』→『Karma』→『Woman In Love』→『 …Baby One More Time』→『愛の言霊』→『モンローウォーク』→『め組の人』→ 『君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね』→『サザン・ウィンド』→『ニ億四千万の瞳』→『仮面舞踏会』→『DESIRE』→『ONRY YOU』『モニカ』→『マネー』→『カラブランカ・ダンディ』


これらはあまり似てないが、セットで歌う知人がいたのでそのイメージから。
『Call Me』→『飾りじゃないのよ涙は』→『少女A』→『疑問』→『リボン』→『私の16才』→『17歳』→『Eighteen』→『悲しき16才』→『可愛いベイビー』→『こんにちは赤ちゃん』→『三百六十五歩のマーチ』→『MICKEY MOUSE CLUB MARCH』→『軍艦マーチ』→『ぼくドラえもん』
はじまりからは予想もつかない展開になってきた。
これ以上続けるときりがないから、このあたりでひとまず終わらせよう。
楽しくてしかたがないので第二弾もやるかもしれない。


共感されなくたってかまわないさ。どこが似ているんだって思われようとも私から見れば似ているんだから。
似ているもの同士を考えつくことって、つまり、ひらめくことだから、何にも代えがたいくらい快感なんだよな

Sunday, April 18, 2010

包まれる美学




以前から気になってはいたのだが、展示会に行ってから、ますますクリスト&ジャンヌ・クロードの世界に夢中になった。

出会いはワタリウム美術館の本屋だった。クリストのクの字も知らなかった私だが、偶然手に取った写真集を見て、体がぞくっとするのがわかった。

高倉健写真集か彼らの写真集、どちらかを買おうかと真剣に悩んだが、ここで買わなくてもアマゾンならば安く手に入るかもしれない、とその時は重たい荷物を抱えずに帰った。しかし、帰ってアマゾンで検索してみると、目当ての写真集は二冊とも、本屋と同じ信じられない値段のままだった。送料のことを考えると、また今度ワタリウム美術館に行った時に買えばいいだろう、と欲しい気持ちを必死に押さえ、私はおとなしくつまらない日々を送っていた。

が、ある日クリスト&ジャンヌ・クロード展が開催中だと聞いて、いてもたってもいられず、聞いたその足で観に行ってきた。写真集よりずっとお得感がある。何せ実物の写真を生で見られるのだから。

説明が遅くなったが、クリスト&ジャンヌ・クロードとは、ご夫婦で創作活動をされていた芸術家で、二人は同じ年の同じ日に生まれた。
何でも包んでしまう、とんでもない作品は芸術というかプロジェクトであり、一度見たら忘れられない強烈なインパクトを与えてくれる。

晩年に撮影されたエキセントリックなポートレートばかり出回っているが、若かりしころはこんなにお洒落で洗練されていたようだ。
この、ジャンヌ・クロードのファッションなんか、今着ていてもまったくおかしくない。これを見て、豹柄のタイツを捜しまわったが、残念なことに似たものはどこにも売っていなかった。
展示会でも例の写真集は法外な値段のまま売られており、さすがに手が出なかったので、代わりにこちらの薄めのものを買って帰ってみた。




こういった、誰にでも作ってしまえそうなものから、このように規模の大きいものまで、



さまざまな作品が解説付きで収録されている。バイクだか自転車を包んだものが載っていなかったのはすごく残念だっだが。

このウェディングドレスなんて、本当によくできていると思う。斬新さはもとろん、このデザインは結婚の何たるかを一目見てわかるように表しているではないか。


結婚とは、重荷を引きずって歩くようなものだ、と。


この包まれた電話は、実物が展示されていた。こんな状態でも鳴るらしい。不便そうなところがたまらない。

そうなんだよな。不便さ。これが肝心なんだ。

私の好きなクリスト&ジャンヌ・クロードの作品は、スケールの大きなものよりは、日常の中にあるものを包んでしまった作品だ。なんでかな、と考えてみたら、やはりその不便さを激しく魅力的に感じていることに思い当った。

壊したわけではない。中のものには一切傷はついていない。ただ包んだだけだ。

ただ包んだだけでそのありふれたものは、物として機能しなくなり、単なるオブジェと化す。

布やシートの裏側で、役割をまっとうできない物の不平や嘆きが聞こえてくるようで、それが最高にぞくぞくする。これ以上ないくらいに官能的だ。

私は不便そうなものに弱いのだ。怪我した動物なんかたまらない。エリザベスカラーさえしていれば、どんな馬鹿猫も、どんなに臭い犬も、もうなめ回したいほど可愛く見えてくる。亀甲縛りにされた美女ではなく、動物やら、いたいけな人間の写真なり絵があれば、ため息の出る毎日をもっと生き生きと過ごせるに違いない。

眼鏡っ娘に萌える男性にも同じような心理が働いているのかもしれない。

まあ、私の場合、不便そうに見えるからといって何かをしてやりたいわけではなく、その不便さを陰からこっそり見ていたいのだが。

困っているって、人でも物でもたまらない良さがある。

困っているようだけれど何もしてやれないんだ。ごめんよ、へっへっへ、とほくそ笑む快感といったら!

こんなことを考えている私は、別に変わり者でもなければ、変態でもないと思う。

クリスト&ジャンヌ・クロードの作品がこんなに、展示会まで開催されるほど世の中に受け入れられているのがその証拠だ。少なくとも、私はそう信じたい。