Tuesday, February 23, 2010

それでも花を贈りたい人へ


画像はロサンゼルスのものです。




どうでもいいことのようだが、男女間の意見の食い違いというものは案外深刻だ。互いに良かれと思ってしていることでも裏目に出たりするものだ。「違うんだよ」と思っていても口に出せなかったりするから余計ややこしいことになってしまう。

たまには私も、ある程度の数の女性が思っているに違いない意見を、他の人たちのかわりに述べてみようと思う。

男性の大多数は、女性というものは花を贈られると喜ぶと思いこんでいるようだが、正直な話、そんなこともないのだ。

これまで花を贈ってくださった方には申し訳ない。しかし、私は花束をもらうたびにたまらなく残念な気持ちになる。

だってそうだろう。花束ってものは決して安い買い物じゃない。二千円とか三千円、下手したら五千円はする。

ああ、もしもそれが同じ金額の図書カードだったら!

これほど残念なことがあるだろうか。

花を贈られて嬉しくない理由はいくらでも挙げられる。

まず私は花粉症がひどい。花束だなんて、見ているだけでもくしゃみを連発し、鼻水がだらだらたれてきそうになる。キク科の花(たとえばマーガレットなんか)が入っている花束なんてもらった日には、もしかして遠回しな嫌がらせなのか?と勘繰ってしまいそうにさえなる。

第二にうちには花瓶がない。当然だろう。先にも述べたように花粉症のある私が花を飾る生活を好むわけがないのだから。わざわざそんなもの買わない。

第三に花ってやつは面倒くさい。

変なラッピングを外して、ペットボトルを切って花瓶を作り、水を入れ、花を切り、倒れないように固定する。これだけやり終えるまでに、手が汚れるし、青臭くなるし、下手したら怪我をする。

それほど苦労してできあがった代物といったら――貧乏くさいことこの上ないのだから(まあ、ペットボトルだしな)。

仕方なく部屋に置いておくのだが、視界に入るたびに「なんだかなあ」と思わずにはいられない。

花は捨てるのも面倒だ。

私はわりとゴミを出すのが好きなほうなのだが、それは生ゴミでない場合に限る。生ゴミは腐る。腐れば臭い。虫だってわくかもしれない。散らかった部屋は居心地がいいが、不潔な部屋にいるのは耐えられない。

そして、これが一番辛いのだが、花束は持ちかえるのが面倒くさい。

花を贈る人は、相手がどうやって持ちかえるのか、考えたことがあるのだろうか?きっと考えないんだろうな。考えていたらそもそも贈りはしないだろう。

女性に花を贈りがちな男性に申し上げます。

あのですね、一般人の交通手段で一番多いものが何だかわかりますか?タクシーじゃありませんよね。電車ですよね。

電車に花束を持って乗るというのがどういうことだかわかるだろうか?

花粉症の人に申し訳ない気持ちでいっぱいで、満員電車で「邪魔だな」って顔をされ、おまけに変なふうに悪目立ちする。花束を持っているということは、何かしらめでたいことがあったということだ。

周囲の目はこう言っている。

あんたさあ、そんなにめでたいことがあった日だというのにどうして電車で帰っているのさ。貧乏くさいなあ。そんなじゃまくさい花束なんかもっているんだから車で帰れ!
タクシー代もないのか?車に乗せてくれる友達もいないのか?

花束を持って乗る電車は肩身が狭い。

男性諸君。女性に花を贈る時は、こういった苦労を一緒に贈っていることをどうかわかってほしい。

それでも花を贈りたい場合は、帰りの交通手段を手配してあげるのを忘れないでほしい。

私と違って、花をもらうと心から嬉しい、という女性も中にはいるかもしれないが、花を持って帰るのが嬉しい女性なんて、間違いなくいないのだから。

Monday, February 22, 2010

好きよ、紙!


近いうちに私はI padを買うことになると確信している。

あの素晴らしい道具が手に入ったら、暗いところやおおっぴらに本を開きにくいところで堂々と読書ができるようになるのだ!

考えただけでも、嬉しさのあまり気持ちがとんでもなく高ぶってくる。

こういう時私は、犬に生まれなくてよかったと心から思う。興奮するたびにいちいち小便をちびるなんて、とてもじゃないがやっていられない。

とにかく、早くどこでも本を読める時代になってほしい。

しかし、いくら電子書籍が便利だからといって、私が紙の本から離れることは絶対にあるまい。

だって私は本の何もかもを偏愛しているのだから。

まず、匂いがいい。新書の少しよそよそしい尖った匂いもいいし、古本の甘ったるくて埃っぽい匂いもまたたまらない。

ページをめくる時の音も素敵だ(あれだけ乾いた、心地いい音が他にあるだろうか!)。寝そべって読んでいて、片手でしかめくれない時のちょっとうるさい音も胸に響くものがあるし、座って両手を使える時に、親指と紙が立てる、マッチをする音にも似たかすかな音も上品でいい。一気にページをめくった時に感じる、小さな風も愛おしい。

ひんやりと冷たい手触りも最高だ。手触りといえば、表紙のきゅきゅっとした感じもいいし、内側の絹のようななめらかさもいい。

それにしてもあの中毒性はいったいどこからくるのだろう?

時おり私は、本には手の皮膚から吸収される麻薬か何かが、紙に練り込まれているのではないかと本気で疑わしくなる。だって、中毒患者のように本を読みあさる人ってけっこう多いもの。

読まない人はまったく興味を示さないのに。煙草と同じで。

本を読みながらだと眠りにおちやすいのも、私がこれだけ夢中になる要因の一つだ。というよりも、私は本がなければ寝付くことができないのだ。

ずっと前からそうだった。漫画でも活字でもいい。雑誌ではない紙の感触が指先になければ落ち着かないのだ。

おかげで私の手の爪は、ページを押さえる中指、薬指、小指が、他の二本とくらべて極端に深爪になってしまった。

人指し指でもページを押さえる癖をつけておけばよかったと、パソコンを使うようになってから私は激しく後悔している。

人差し指の爪がキーボードにぶつかる不快さは、私の日常にある不快さの中でも、かなり上位に位置している。

Wednesday, February 17, 2010

黒とベージュ


今まで散々黒の世話になっておきながら、一部のブランドはあの色を春のファッション業界から閉め出してしまった。


若者の街原宿では、多くの店のショーウィンドウから黒が消えていた。代わりに淡いぼやっとしたパステルカラーが溢れていた。


黒も完全になくなったわけではなくて、二階だとか棚の隅っこだとかに追いやられ、ひっそりと、申し訳なさそうに並べられていた。黒を愛する私としては、心が痛む光景だ。


黒は便利な色だ。合わせやすいし、他の色よりは安っぽく見えづらい。汚れもまあ、目立ちにくい。絶対的な色だから、茶色や白みたいに焦げ茶やアイボリー、オフホワイトがあったりしない。黒は黒だ。


それは、例えばバッグと靴を同じ色で揃えようとしているのに、色みが違ってコーディネート全体がごちゃごちゃになってしないことを意味する。


便利だなぁ。なんて偉い色なんだろう。


それなのにみんな黒を前時代へと葬ってしまった。わかっている人は、いくら黒が主役でなくなったとしても、脇を固める実力派として、うまいこと使っているけれど、わかっていない人が特にすごく若い人に多くて、彼女達は徹底的に黒を排除し始めたようだ。
若い人の読むような雑誌も悪い。「今まで黒だった部分をベージュにすると垢抜けるよ♪」みたいなことを吹聴しているのだ。
この春はベージュやヌードカラーが流行るのは承知の事実で、私だってたくさん売られていたら欲しくなるので、ベージュのアイテムをいくつも買い足した。黒に全く飽きていないと言ったら私は正直者ではなくなってしまう。
とにかく、ベージュはベージュですごく活躍してくれているし、何よりいい色だ。好きな色の一つだ。だからといって黒を時代遅れの色としてぞんざいに扱うつもりもない。
そもそもベージュと黒はとても相性がいい。黒の重さや強さをベージュの柔らかさや上品さが中和してくれるし、ベージュの地味さや貧乏臭さを黒が中和してくれる。
ベージュは多くの日本人の皮膚に近いのだから本来ならコーディネートしにくい色ではない。しかし一部の人達は、同系色と言えなくもないことから、ベージュを茶色の仲間として扱っているように思う。
ベージュを着るなら仲間の茶色と合わせなきゃいかん!とでも言うように。そうやってルールを決めてベージュの可能性を狭めている人が多いのは残念でならない。
今日はなんとなく、こんなことが言いたかった。
そういえば、色で思い出したのだが、絵の具や色えんぴつの「肌いろ」という、あれこそが人間の肌の色の基本だ、と静かに主張している、あのとんでもないネーミングは、今でもまだ健在なのだろうか?
私は以前からあの名前に違和感を感じ、ブログでも意見していた。
「肌いろ」も変だが、「水色」はもっと変だ。川だとか泉だとか海だとかになると水は確かに青っぽく見えるが、普段は透明なことは誰の目にも明らかである。

Monday, February 15, 2010

i phone


多くのi phoneを買ったばかりの人の例にもれず、私もアプリのダウンロードに夢中になっている。

今のところ、鼻歌で曲名が検索できるアプリと生理予測、支出管理、ナビ、写真系二種類、花粉チェッカー、通貨換算、乗り換え案内を買った。

使わないがどんなものか気になったので名刺ケースというのもダウンロードした。写真を撮るだけで名刺の管理ができるというやたらとハイテクな機能だ。

地震予測もあったら欲しいのだが、きっとありそうなのであえて探さないことにしている。

だってそんなものをダウンロードしたらストレスで病気になってしまうもの。

アプリには本当に色々な種類がある。

健全なものが多いと思いきや、大人向けの不健全寄りが案外多い。パチスロ手帳とか、息を吹きかけてお姉ちゃんのスカートをめくるものとか(ああいうもののモデルってきっと同業者なんだろうな)。

書籍にしても漫画が多かったり、ちょっとエッチなものがあったりする。携帯電話よりもユーザーの年齢層が高めなのかしら?

しかしなあ、また買ってしまったよ。これ以上バッグの中にメカを増やしたくなかったのに。

それもこれもみんながいけないんだ。最近みんな持っているんだもの。

でもまあ、面識のない人が持っている分には購入にはいたらなかったかもしれない。まずかったのは周囲の人間が多数持っていたことだ。

だって事務所のマネージャー達の社用電話がi phoneになるって噂まで聞いたら何だかすごく時代遅れな感じがするじゃないか。

服はいい、音楽はいい、時代遅れでいい。だけどメカだけは最先端とまでは言わないから、人並みに流行を追いたい性分なんだな。

流行りに乗って勢いで買ったとはいえ、これがあるのとないのでは人生の充実具合が5%くらい――これはけっこうな数字だ――違う。

以前よりずっと検索がしやすくなったから、何かが気になっても「あー、思い出せない。でも面倒だからいいや」ということが減った。すなわちぼけ防止になる。

言われているもんな。思い出せないものを放っておくとぼけやすくなるって。

でも、検索しちゃったら一緒なんじゃないか、とも思う。

だってそれじゃあ思い出していることにはならないうえに、日頃から「どうせいつでもどこでも検索できるんだから」と物事をはなから覚えなくなりそうだもの。計算機に頼りっぱなしの人が暗算できないのと同じで。

そう考えたら、i phoneと人生の充実具合は比例しないのだろうか?

だって、おかげで確実に性格は悪くなったもの。

これを買ってからというもの、電車の中などで普通の携帯を使っている人を見ると、「あ~ら、あの人ってば、まだそっちしかお持ちじゃないのねぇ。時代遅れだわ、おー、嫌だ」みたいなことを考えている自分がいるのだ。

羨ましがられたら万々歳。最低だよな。

実際羨ましがられていると思うのだけれどな。

また電車の中での話だが、それほど込んでいない車両で、一人を除いて後の数人がみ~んなi phpneをいじっていたりしたら、持ってない人は悔しさのあまり、今すぐにでも買いに走りたくなるんじゃないだろうか。

実際今日乗った電車では、示し合わせたみたいに揃って周りがi phoneだった。それほど普及しているのだ。

まったくハイテク(これってもう死語なのか?)時代だ。

こんにゃく型ではないだろうが、声から簡単に翻訳できる道具は私が生きている間に出来そうだ。

ついでにうつつ枕と睡眠圧縮剤もできそうだ。
睡眠圧縮剤は間違いないんじゃなかろうか。22世紀でない、のび太の息子の時代にもうそれは存在することになっているのだから。


内容と画像が無関係すぎてすみません。

以前よりちょっと写真が扱いやすくなったものだから調子に乗っていろいろと練習しているんです。

Friday, February 12, 2010

でぶ専

図々しいことを言うようだが、昨日の私は、自分をわりと痩せているほうなのかもしれない、と珍しく思ったりした。というよりも、この世の中のほとんどの人を痩せていると思った。

間違いなくルノアール展に行ったからだ。

あそこで私は、夢に出てきそうなほど多くのでぶを観てきた。それも、肉襦袢以外には一糸まとわぬ姿で。

文化庁メディア芸術祭ほどではないが、ルノアール展は盛況だった。多くの人たちが巨匠の有り難い作品に「きれいだなあ」、と感嘆の声をあげていた。裸婦の前にくると彼らは黙りこんでいた。私は彼らの気持ちが手に取るようにわかった。

きっと誰もが同じ気持ちを共有していた。しかし口にしてはいけなかった。

思い余って私は言った。「それにしてもでぶだなぁ」

私は代弁者になった。

絵をやっている友人に聞くと、痩せよりでぶのほうが描きやすいというのだ。彼女たちは派遣されてきたヌード・モデルが痩せていると「ちっ」と心の中で舌打ちをし、ふくよかだと「おっしゃあ!」と思うらしい。絵を描いたことのない私にはっきりした理由は定かではないが、曲線が多いほうが描きやすいのだとはなんとなくわかる。

しかし友人は興味深いことを言った。「でもルノアールの裸婦は特別でぶだよ」

彼女は続けた。「でぶで童顔」

ようはこういった方々ですな。

その通りだった。私の乏しい知識の中でも、ルノアールには美少女とでぶの童顔女を好んで描く傾向にある。

初期のものだとほっそりした人の作品もあった。しかし晩年は特に下半身が怪獣並みにどっしりした女性を描いたものが目立った。

貧富の差が激しい国なんかでは、今でも豊満さは豊かさの象徴であるというが、ルノアールの生きた時代のフランスはもう少し洗練されていたようにも思える。

やはり偉大なる芸術家はでぶ専だったとしか言いようがない。

でぶ専と巨乳好きはセットであると思われがちだが、ルノアールの裸婦達は揃って控えめな乳房をしていた。ということは胸ではなく肉そのものに強く惹かれていたのだろう。

世の中にはいろいろな趣味の人がいる。

ルノアールは60歳で三男が生まれたらしいが、画家には長生きで性的に元気そうな人が多いように思う(逆に音楽家は短命だ。なぜだろう?)。

よく、女性の体で魅力を感じる部分は、年齢と共に下がっていくと言われている。若い頃は胸が好きで、次第に尻、脚、そんな具合に。

晩年のルノアールが下半身でぶを好んだことは、通説に乗っ取ったごく当たり前の傾倒なのかもしれないが、それだったら細く長い脚を好むものなんじゃないか、とも考えてしまう。

私もどちらかといえば下半身でぶなので、ある意味では勇気づけられる作品展だった。




ちなみに、他の誰かに似ている絵も何点かあって、とても興味深かったので載せてみる。

広末涼子さん似の夫人はこちら。
かなり痩せている人も描いてはいるみたいだ。



そしてこっちはマドンナの愛娘、ルルドちゃんのようだ。実際絵を観たほうがずっと似ている。


Thursday, February 11, 2010

友人を待ちながら・・・


人を待たせている間、地獄にいるみたいな時間が流れていく。焦って、いらいらして、心配で、恐ろしくもあって、自分で自分が大嫌いになる。

それでも時々やってしまう。しかも、同じ相手に限ってやってしまったりする。

こんなに待ったり並んだりするのが大嫌いな私なのにどうしてだろう。

が、ふと考えてみたら、並んだり、順番を待ったりするのは大嫌いだけれど、人を待つのはそれほど嫌いじゃないと気がついた。

たとえば今なんかも、友達を待ちながらこれを書いているのだが、これっぽっちも頭にきていないし、当然焦ってもいないし、いらいらするどころかすごく穏やかな気持ちですらある。

人を待っている時間というのは、行列みたいに自分の意思でやめるわけにもいかないので、寒くても熱くても開き直ってしまえるんじゃないだろうか。毎日働いていると、少しでも効率よく物事を進めるために、とにかく計画的に時間を使おうと思ってしまう。友達と会う時だってそのつもりで行動するのだが、相手が遅れてくるとなるとぽっと(それが10分であろうと20分であろうと)時間が空く。

焦る意味のない、空洞のような時間のかたまりが現れる。これはけっこうありがたいものだと思う。思う存分のん気に過ごせるのだから。

読みかけの本を読むのでもいいし、コンビニに入って普段読まない雑誌類に目を通すのでもいい。こうやってブログを更新するのにもちょうどいいし、アマゾンで気になっていたものを買うのにももってこいだ。

待ち合わせというものはたいてい駅前なので、見るところはいくらでもある。いつもだったら絶対に入らないような店に入って、これまで興味のなかったものを思う存分眺めるのも楽しい。スターバックスなどに入って普段は頼まないものに挑戦できるのもこんな時間ならではだ。

そこには新しい発見がある。いつもなら見逃していたものがすごくいいものだったと気づけたり、無駄とも思えるものや場所で、無駄とも思える豆知識を得ると、それが後々思いのほか役立ったりもする。

時間に余裕があると、しかもそれがほどよいものだと、すごく得した気持ちになる。100円を拾った時の気持ちに似ている。

それに、人を待っているというのは気分がいい。

ヤクザの交渉術だとかそんな本に書いてあったと思うのだが、相手より早く待ち合わせ場所に着くと、その相手より優位に立ったつもりになれる。

自分という人間は、なんて時間に正確で、眉ひとつひそめず人を待つ心の余裕があり、きちんとした、よくできた人間なんだろう、と思うことができる。

こんな時ばかりは自分が好きになる。

それに相手はたいてい「ごめんごめん」と謝りながらやってくる。

私は人に謝られることがわりと好きなので、そこでまた得した気分になるのだ。


しかしこれが逆の立場だったら本当に嫌だ。繰り返すようだが、人を待たせていると自分が大嫌いになる。

いくら他人に謝られても、これ以上自分を嫌いになったら気が変になりかねないので、これからはなるべく時間に正確に生きていこうと思う。

あ、もうじき友達がやってくるようだ。

 海外通販翻訳

足のサイズが25.5㎝もあると、海外旅行にでも行かない限り自由に靴を選べない。香港にはまあまあ大きい靴もあったけれど、韓国やバリにはなかった。今度行くシンガポールもあんまり期待しないでいる。

無理して海外で買わなくても、今はいくらでも通販があるのだ。そりゃあ実物を見てから試し履きしたいし、関税もけっこう高かったりするので靴が買いたくなるたびに海外に行ければ一番なのだが、まあそうもいかないだろう。普通は。

海外なんてせいぜい三カ月に一度くらいだ。三か月に一足しか靴を買えないなんて悲しすぎる。

数年前までは私が行くような店でも時々ばかでかいものが売っていたのだが、なぜか最近は姿を消してしまった。

足のでかいやつはどうせ体格もいいんだから、すてきな靴なんて履いちゃいけないというのが、我が国の流通業界の意見なのかもしれない。大きいブラジャーが可愛くないのも同様のような気がしてきた。つまりそれほど巨乳のやつなんてデブに決まっているんだから、人前で下着になる機会なんてそんなにないんだからださいブラジャーをしてればいいんだ…みたいな。

いいじゃないか、別に。豊満な体型の人がどんな格好したって。それがだめだっていうきゃしゃな人なんてどうせだいたいの服が似合うんだから、他人のことなんて放っておいてくれ。

話がそれてしまったが、そんなわけで我慢して海外通販を利用しなくてはならない。しかし私は高級な靴のデザインがたまたま大好きなものだから、失敗がすごく怖い。

失敗しないためには、穴があくほど写真を眺め、執拗なくらいに商品説明を読む必要がある。

けれども、当然のことながら海外通販は全て英語で書かれている。

そこで翻訳サイトの出番だ。

エキサイト翻訳などの文章がおかしいことは以前にも書いたし、広く知られていることなので今さら指摘するまでもないが、海外通販で真剣にものを選ぶ時にこれらの文章はおかしすぎて向いていないように思う。

たとえば、一昔前に流行った、えびす様みたいなマークが愛嬌のある、やたらと高いデニムブランド「トゥルーレディジョン」は、訳するとこうなる。

まあ、そのままといやあそのままなのだが、こうやって文字になるとすごいインパクトだ。

これとかは何なんだ。「全ては人類のための7」はまだいいとして、ジョセフ―ナのくだりは一体……。

私の大好きなクリスチャン・ルブタン(これは違うが、クリスチャンのルブタンという表記のものもある)だが、完全にど変態のM男の言葉だよ、これじゃ。じらしてくださいもそうだし、140足のサンダルというところが、靴フェチっぽくてすごい。


次のものも地味だけれどいい。


すご~くストレートでわかりやすい説明。次のものはひびきがいい。



心臓と鳥のネックレスはもちろん、個人的には「うまみのあるファッション」というのが気に入った。いったいどんなファッションなんだろう?

こちらも素敵だ。高級なヒッピーってどんなヒッピーさ。

これもいい。まあまあネームバリューのあるアクネというブランドのことだと思うのだが……。



オープントゥも翻訳サイトにかかればこうなる。



久しぶりに笑わせてもらった。
こんなふうに、笑わせようとしていないもの特有の大真面目な調子っぱずれぶりは、どんなお笑いが束になってもかなわないくらい新鮮で刺激的な笑いを与えてくれる。






Monday, February 8, 2010

正しい大便のとり方









今回の記事がいつかどこかで誰かの何かに役立ちますよう切に願っております。

Sunday, February 7, 2010

顔面マッチョ





ストレスがたまっているのか、噛み癖が再発した。

家にいるときはひたすら何かを噛んでいる。何でもいいわけではない。感触や味も重要だ。

好みなのは布。それも、無意識にいつのまにか噛んでいるので、バスローブやパジャマの襟や袖、バスタオルなどが多い。

スウェットよりはタオル地のほうが噛みごたえがあって好きなのだが、たまたまパジャマを着ていて、近くにタオル地のものがない場合は自然とパジャマを噛むことになってしまう。

襟の場合、右襟よろも左襟を噛むことのほうが圧倒的に多い(きっと左側に首を回すほうが楽だからだろう)。だが、使う歯は左側が多いというわけでもない。わりと左右均等に噛んでいると思う。あまりにも強く噛むので、どちらかばかりえこひいきして噛ませてやると、疲れてしまうのだ。

私の前歯は中央の6本がラミネートべニアなので、犬歯から奥歯にかけての歯で噛むよう心がけてる。コンビニのおにぎりを歯で開けようとして折れたことがあるのだが、あの二の舞は踏みたくない。
何故噛むか?

先にも述べたがストレス解消のためだ。口寂しさを紛らわすためでもある。煙草を吸う人ならそれでもいいが、あいにく私は禁煙派だ。

それから単に楽しいからでもある。

布地とはスルメのようなもので、噛めば噛むほど味が出てくるのだ。

そのものの味も出てくるし、洗ったことのあるものだと、洗剤の味が染み出してきて、それがあまりにもきついと美味しくないのだけれど、ほどよいとくせになる味わいなのだ。感触もちょっとガムっぽくて、だけどあんなにちょびっとじゃなくて、とても噛みごたえがる。

すごく汚い話だが、バスタオルなら噛み過ぎて乾いた部分がなくなったら、バスローブなら、水分がたっぷり含まれて着ていて重くなってきたら、新しいものと取り換え時の合図だ。

これがパジャマだと、少々湿っていても面倒くさくてそのまま寝てしまうことがある。それをやってしまうと最悪だ。

袖を噛んでいた場合ならそれほど支障はないが、襟を噛んでいた場合、臭くて眠れなかったり、気になって目を覚ましてしまう。

その点バスタオルなら着ないし、バスローブなら着替えやすいので、その点でもタオル地のほうが噛むのに向いている。

このストレス解消法は一円もお金がかからないうえに、何かをやりながら気軽にできるので、何の欠点もないように思われた。しかし、重大な欠点がひそんでいた。

顔面が、ちょうどえらの部分が鍛えられてしまうのだ。
おかげで私はすごい顔面マッチョだ。男性が胸筋でやるように、私もえらを「ぴくぴく」っと動かせる。
輪郭が変わってしまい、このままじゃまずいと思ったのだが、噛まないととてもやっていられないので、この際輪郭には犠牲になってもらう。



電子辞書って素晴らしい

くどい顔をしているくせに私はからっきし英語が駄目なので、もしもこの世に電子辞書というものがなければ海外旅行になんてとても行けないだろう。

電子辞書のある時代に生まれてきて本当に良かった。海外はおろか、国内でだって毎日持ち歩くくらい愛用している。それほど意味がなかったりもするのだけれど。まあ、そんなことを言ったら私は鞄の中身をほとんど出さなくてはならない。

ずっと使っているカシオ製は現在二台目だ。以前のものには大好きな広辞苑が入っていないのが物足りなかったが、今の物は入っている。ジャパネットたかたで見て憧れていて、去年の誕生日にいただいた。ありがたい。

何となく辞書と言えば広辞苑だ。無駄な情報も多いと聞いてから二番目にこれが好きになった。ちなみに一番はブリタニカ。私がよく調べる事柄を複数辞書から検索すると、ブリタニカの情報が一番長ったらしくて得した気分になるのだ。

しかしだ。このイラストを発見して、好きな辞書ランキングが完全に逆転してしまった。

広辞苑ってば、図から検索できるのだ。その図が何とも……。

まずは動物だが、ぐりとぐら風の素朴さと、ちっともキャラっぽくない真面目さ、変にリアルな不気味さ、それらを全部合わせるとこうなる。

こいつら大きさのバランスが明らかにおかしい。ハリネズミ、でかっ!!!


人のこと言えた義理じゃないけれど、このイラストを書いた人ってあんまりうまいとは言えないと思う。なんでこんなに目つきをいやらしくする必要があるのだろう。またまた人のこと言えないけれど、字も下手めだよな。



ネックラインを説明する図のやる気のなさといったら!シンプルも悪くはないのだが、もう少しがんばってほしかった。食べ物だってそうでしょう。薄味でもいいが、ただ薄けりゃいいってわけでもなくて、味はちゃんとついていてほしい(この図は大変味わい深いが)。

こんな図と文字で「ハイ」「ブイ」と言われると気が抜けてしまう。


次の図に関しては言葉もでない。



奴ら、『コジコジ』の問答えんぴつかと思ったら違うらしい。


極めつけはこれです。図から探している間も、もしかしたらあるかもな、って思っていたら本当にあった。


広辞苑よ、あんたは完璧だ。真の実力派だ。感動した。
    
紙で見ていた時から辞書の絵ってけっこう気持ち悪いなと思っていたのだが、あれだと小さすぎるからぐちゃっと変なふうに見えるのかとも思っていた。だが、そうではなかったみたいだ。拡大しても十分に変だ。

そういえばさっきくまのプーさんの絵を見ていたら辞書っぽかった。ムーミンもそうだよな。

やっぱり電子辞書って素晴らしい。広辞苑以外ではどんな図が拝めるのだろう?

激しく気になる。

Friday, February 5, 2010

3D眼鏡くん


少し前のことだが、『アバター』を観に行った。この間の『THIS IS IT』と同じく、あまりにも人から勧められたからだ。

上映時間約3時間。頭ではあっという間だったが、体はとてもきつかった。ストーリーのほうはというと、ここでは多くを語らないつもりなので、西部劇風とだけ言っておこう。

アクション、恋愛、そして映像技術。色々な要素が盛り込まれているので、誰でも自分好みのシーンを見つけることができると聞いていたが、まさしくその通りだった。

私は無難ながら、迫力満点の映像を堪能しました。

すごく目が疲れるんだろうな、と思っていたが、案外そんなこともなく、いつの間にか3D映像は当たり前のものなのかも、と思うようになったくらいだ。

導入部分の未来描写、空を飛ぶシーン、最後一時間のアクション。これらのシーンが特に見どころだった。長いし、疲れた気がしていなくても実際は目が疲れているはずなので、途中眠くなる人も多いかもしれないが、これらのシーンで眠ったらもったいないと思う。

ラブシーンなんかが静かだし、うとうとするのにはちょうどいいんじゃないだろうか。

『アバター』の話はこのくらいにしておいて、私の大好きな3D眼鏡の話をしたいと思う。

あれはかけていて、素朴な疑問がいくつも湧いてきた。

もともと眼鏡をかけている人は眼鏡の上から二重にかけるようになるみたいだが、下になる眼鏡に負担はないのだろうか?だいたいちゃんと見えるのだろうか?

とても気になったので、眼鏡をかけている人に訊いてみたところ、特に支障はないとのことだ。

それ以外には、顔にぴたっとしたデザインの眼鏡なのだが、鼻に異物を入れている人がかけた時に負担はないのかということだ。

これに関しては周囲に該当者がいなかったためリサーチすることができず、いまだ謎のままだ。

もとはといえばアメリカ人が発案した眼鏡だと思う。しかしアメリカ人は鼻の高い人が多そうなので(鼻の整形手術は低くすることのほうがポピュラーなくらいなのだから)アジア人の美意識なんて知ったこっちゃなさそうなので、多少は負担がありそうな気もする。どうでもいいことでも、気になりだすと止まらないのが私の悪いくせだ。

妄想癖も時と場合によってあまりよくないが、こうやって家で一人パソコンに向かっているときならば問題ないだろう。

だからこの際思い切り妄想させてもらう。

ツイッタ―でも言ったことなのだが、あれでスプラッタを観たらどんな気分になるか試してみたい。

最近は3Dテレビなんてものがあるけれど、あれでDVDを観たらちゃんと3Dになってくれるのだろうか――多分無理だろう。

出産シーンなんて迫力ありそうだな。プロレスもボクシングもすごそうだ。

AVなんかだと、みんな触ろうとするんだろうな。
そのうち触れたほうがいいってことになって、肉をもんでいる感触の得られる手袋だとか、まあそんな感じの指先の神経に刺激を与えるような道具が開発されたら、撮影時に女優の肉の感触なんかも記録するのだろう。

しかし中には肉質の悪い人なんかもいるだろうから、手タレ脚タレならぬ、肉タレなんて職業ができる日がくるのかもしれない。

怪しげな求人広告では「パーツモデル募集」と書かれるのだろう。

やっと時代が21世紀らしくなってきた。

このまま早く、アマゾンなどからダウンロードした日本語の書籍をまとめて携帯できる時代が来てほしい。

せめて半年後にはそうなってくれよな。

 ガイドブック




香港で買ってきたものの中で、一番役に立たなそうで、けれども一番面白いものは、間違いなくこの中国語版東京ガイドブックだ。


ガイドブックなのだから、地元の人間は行かないような場所がクローズアップされていて当たり前だと思う。しかし、地元の人間だってよく利用するが、おすすめかって言われたら首をかしげてしまいそうな所もこの本には多数登場していて、何とも複雑な気持ちになる。


ラフォーレはいい。キディランドはいい。まんだらけやヨドバシカメラもいい。中野ブロードウェイだっていい。東京タワーなんて、もう全然OKだ。


乙女ロードやコクミンやジャニーズショップ、アントニオ猪木酒場なんかは、よくそこまで調べたね、と拍手したくなるくらいだ。


でもでも、食い物やに関してはあまりにも…こんなこと言いたくないけれど、もっといいところはいくらでもあると思うのだけれどなあ。


だって、1ページ使って松屋だよ。半ページ以上使ってすき屋だよ。オリジン弁当だよ、魚民だよ、かに道楽だよ。


それもわざわざ新宿のページに松屋とかすき屋とかさ。どこにでもあるのに。


私は牛丼もオリジン弁当も大好きだ。独特のあの味を、時々無性に食べたくなる。安いことも気軽に入れることも、あちこちにあるのも素晴らしいことだと思う。なくなったら困る。


一生牛丼を食べられないよりは、一生セックスができないほうがずっといい。


しかし、外国人に「新宿で渋谷で、選りすぐった店です」とは言えないだろう。


特別美味しくないんだもの。それに日本人の私から見ればあまりにもお気軽すぎて。


外国人にはめずらしいかもしれない。大衆的で気取らないからこそ、その国の文化がダイレクトに伝わってくるのかもしれない。


けれど、あれらの味だけで「日本で食べる和食ってたいして美味しくないじゃん」って思われたら悲しい(私が香港でそう思ったみたいに)。


このガイドブックのおかげで、よ〜く学べました。ガイドブックに載っている食い物屋の味を信用してはいけません。感づいていたことだが、これではっきりしました。


そもそもガイドブックは、私が旅行に求めるものを叶えちゃくれない。


日本でもできることをわざわざやって、世界は広くて、でも案外似通っているってことを実感するのが旅行の醍醐味だと思う人間は、行き当たりばったりで行動するほうがいいのかもしれない。


それはそうと、サンリオピューロランドが6ページに渡って特集されていたのには正直びっくりした。キティちゃんに凄みと貫禄を感じてしまった。さすがです。


もうひとつ。


どの国のガイドブックにもアウトレットって載っているのね……。なんだかなあ。


Wednesday, February 3, 2010

香港



香港に行ってきた。あっという間の旅だったなあ。SOHOはすごく坂道が多かった。みんなヒールを履いていないわけだ。
  


これがオタルビルと言われている信和中心
           ↓  


建物内は中野ブロードウェイ風。アニメ、フィギュア、アイドル、漫画。どこも日本だらけだ。

このごちゃごちゃ感がいいなあ。

馬鹿みたいに画像を投稿してしまったなあ。

それはそうと、けっこう性に合う街だった。気候がいいし、治安も案外いい。人がいい。ぼらないんだもの。サイズの大きな靴がいっぱい売っているのも良かった。靴を買うだけのためにまた行きたいくらいだ。

タクシーがものすごく安いのもありがたい。初乗り二百円くらいだった(だから場所によってはものすごく待つので、時間だけなら地下鉄のほうが早いことも多そうだった)。タクシーが観光客をぼったくらないないなんて!私はそれに感激しました。韓国でもバリでもおそろしくぼられたもの。夜はメーターないんだよ、とか。考えたら無茶苦茶なんだけれど。

そして、繰り返すようだが人の親切なことといったら。

駅までの行き方や切符の買い方などを10分にわたって教えてくれたご夫婦、トイレで快く紙をくれた少女(国際的恥さらしだよな)、届かないけれどここからお礼を言います。

でも、トイレに紙がないってどうなんだろう。あれだけの大都会なのに。紙がないといっても、日本みたいにただ補充していないっていうんじゃなくて、トイレットペーパーを備えつける場所そのものがはなから存在しないのだ。さすがにデパートや大型ショッピングセンターでそれはないけれど、ちょっとしたビルなら当たり前に紙を持参しなくてはならない。

ある意味そのほうが衛生的な気もしないではないが、不便であることに変わりはない。

文化の違いっていったらそれまでなんだろうけれど。

文化の違いといえば、公園に卓球台があるのにはカルチャーショックをうけた。夜中でもそれで汗を流す人がいて、なおさら驚かされた。日本ではありえない。たとえば公園に土俵があるなんて。

すごくがっかりしたこともある。食べ物がちっとも美味しくなかった!!はっきり言おう。糞まずかった!!!

そりゃあ高い中華料理屋には入っていないけれど、その辺の店に適当に入っても美味しいのが中国だと思っていたのだ。イギリス領だったことなどすっかり忘れていた。

味のまったくないお粥(口コミで評判だった店だ)、化学調味料で舌がびりびり痺れる麺類、ぎとぎとの餃子。何よりタレがまずいことこの上ない。

あまりにきつかったものだから、ハンバーガーばっかり食べていた。ケンタッキーが一番美味しいってどうよ?

高いものならそうでもないのかと、高級なホテルのそこそこ値の張る和食にも行ってみた。

一人4000円くらいのランチなのだが、サイコロステーキは牛丼みたいな味だし、トンカツはむしろフライドポーク。肉が悪くないだけに余計悲しい。

香港食ってジャンクなくせして味がない。そういえば聞いていたんだ。食べ物には期待しないほうがいいよ、と。

私も友人も期待しすぎてていたのがいけなかった。それはわかっている。

だけど、あの味はちょっとないよな。


旅行先の食べ物に多くを求めてはいけないと、やっと学べてきたこの頃だ。

まずささえも文化の違いと片付けて、それをむしろ楽しめる日が来たら、ぜひイギリスに行ってみようと思う。