Friday, March 5, 2010

木に登るということ


そういえばこのブログ、携帯電話からは見えないそうな。どうりで周囲にblogger人口が少ないわけだ。

私の見ているブログの99%がbloggerなものだからついここを選んでしまったのだが、選択を間違ったのかもしれないなあ。しかしライブドアブログのややこしやは私の性に合わないややこしさだったのでまあこっちから更新を続けることにする。



久しぶりに木に登ってみると、どうもうまく登れないものである。小学生のころには猿のように登れたこの私があれほど悪戦苦闘するようになるとは夢にも思っていなかった。

靴もよくないんだろう。今はもうNIKE愛用者ではないから。

だからといってここまで登れなくなるなんてショックを受けずにはいられない。

木に登れなくなったことそのものよりも、小学生のころからこうも変わってしまったことがなぜかとても悲しい。

今はあのころの産物というよりもあのころの延長だ。十年以上前からずっと続いている道に今も私は立っているわけだ。

変わったことといったら、自分でお金を稼ぐようになったのと、パソコンができるようになったのと、親のいない海外旅行に行ったのと、処女でないのと、辛いものが好きになったのと、学校に行くかわりに働いているのと、あとは時代くらいだ。

あの時読んでいた漫画や本は今も読んでいるし、年に二度は高熱が出るし、何かを読みながら行儀悪い姿勢で飲んだり食ったりするのが一番至福の時だし、死にたくないし、交友関係は狭いし、教育テレビはよく見るし、地震と戦争が怖いし、一人が好きだし、他にも多くのことが以前と同じだと思っていた。

私は甘かった。精神的なことばかり考えていた。

肉体は着実に衰えているのだ。このままだといつかはぼけてしまうのだろう。

ずいぶん前から、きっと私は四十代半ばくらいまでしか生きないだろう、と思ってきたので(せっかちだし後先考えないで行動するし、健康的とはほど遠い生活習慣なもので)、それが予想通りならばぼけるまで長生きしないだろうが、もしも運良く生き延びたとしたら、ぼける日もはるか遠い未来ではない

もう考えるのはよそう。それよりも木登りの魅力について考えるんだ。

木登りの好きなおてんばなヒロインには虫唾が走る私だが、そのくせ自分が登るのは楽しくてしかたない。

そもそも、木に限らず私は何かによじ登るのが大好きなのだ。「登」という字までも見ているとうきうきしてくるほどだ(登山はべつに好きではないのだが)。

あれほど楽しくてエキサイティングなスポーツをあと十個挙げろといわれたらむずかしい。

ダーウィンの説が正しくてもそうでなくても、木に登り人間の本能がある程度関係していると思う。だって私は、木にもっともらしい登る理由を思いつくことができない。

圧倒的なものに抱かれたいから?征服欲を満たすために?違う、そうじゃない。

ちょうどよさような木を見ると、全身がうずいてしまうのだ。これを本能と呼ばずなんと呼ぶのだ?

「そこに山があるからさ」とはけだし名言である。

世の中には素敵な木やいい感じの大きさの物置きなど、登りやすそうなものが案外存在しているというのに、どうしてみんなは登ろうとしないのだろうか?みんな大昔は猿だったんじゃないのか?少なくともそう植えつけられてきたのではないのか?

「なぜ山に登るのか?」という質問のほうが私には理解しかねる。

それが「なぜ木に登るのか?」という質問であったならなおさら。

いつか山登りがロッククライミングのようにそこそこポピュラーなスポーツとなる日がくるまで、私は一人孤独を背負い、木に登り続けることだろう。

どこかで見かけることがあっても、くれぐれも石を投げたりしないように。

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