Thursday, January 21, 2010

ふと思った。私って時間にルーズなほうだっけ?そうでもなかったっけ?

自分じゃよくわからないが、ややルーズ気味なのではないだろうか。好ましいことではないが、待ち合わせに12~15分遅れることが多々ある。

ものすごーくルーズな人は30分以上遅れるのが当たり前だったりするので、私などは、やはりややルーズくらいなのだろう。

しかし、人生の早い段階で仲良くなった人が物凄い遅刻魔だった私にとって、仕事に関係のない待ち合わせに時間通りに行っては馬鹿を見る・・・・・・というのが刷り込まれてしまっている。忘れもしない。そのEちゃん(仮名)の平均遅刻時間は1時間半。悪い時は3時間。40分だと「よくやった!」なのだから。

極寒の1月2月に、外で2時間以上待たされた記憶が頭をよぎる。

Eちゃんと遊ぶようになってある程度の時がたつと、私はようやく外で待ち合わせることのばかばかしさに気が付き、それからは彼女の家で待ち合わせることにしていた。
とにもかくにも、そんな苦い思い出を持つ私は、何度も言うようだが、待ち合わせに時間通りに出向くのは無駄な行動だ、と思っていた。熱を出して苦しんだ過去を繰り返したくはない・・・・・・。

おかげで私はやや時間にルーズな大人に成長してしまった。これはよくない。どうにかしなくては。
他人を待つのも楽しいものではないが、他人が待っている場所へ急いで向かうのは、それ以上に楽しくない。

当然のことなのかもしれないが、やっぱり不思議なもので、同じ15分間でも、他人を待っている時と、他人を待たせている時では、時間の過ぎかたが全然違う。
前者では時間というものが、おっそろしく間のびして、スローモーション以上にゆっくりと過ぎて行くし、後者は大袈裟ではなく普段の倍近くのスピードで通り過ぎる。

おかしなものだ。立場によって同じはずの時が別の速度で過ぎて行くなんて。
私にとってそうなのだから、他の人にも同じことなのだろう。そう思って周りを見ると、新たな発見がある。

たとえば、時計を気にしながら誰かと待ち合わせをしているらしい、隣のサラリーマン。待っている相手とはどんな間柄なのか。友達か、先輩か、仕事関係の人間か?
少し苛立っている様子の彼。きっと、まわりを流れるのろまな時間が一層彼の神経をいらつかせているに違いない。

彼が待っている相手は、彼を待たせている人間だ。

その人間にとって、その人と彼の共有している時間は、せかせかと余裕のないものに感じられるのだろう。

同じ時を、彼らとは関係のない場所で過ごしている私にとって、今、この時間はごく当たり前のスピードで流れている。

うまく表現できない。しかし不思議で仕方無いのだ。今まで考えてみなかったことまでも不思議だ。
私が誰かを待っていらいらしていたり、逆に待たせて焦っていたあの時も、関係のない人間にとっては、時間は通常通りのスピードで流れていたんだ。

こんな風にも考えられるな。

私が何かを待っていたあの時、「早く時間がすぎねーかな」とぼやいていたあの時、世界のどこかでは余命幾許もない人が、残りわずかとなった貴重な時間を1秒1秒、噛み締めるようにして生きていたのか。

何だか申し訳ない。

ついでに、こうやって私が無報酬の下らないことを書いている間に、そう遠くない場所で、高名な誰かが、パソコンの同じような機能を使って目の飛び出るような金額に化ける文章を書いたりもしているんだろうなぁ。

本っ当に、人それぞれだよ。まったく。

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