Thursday, January 21, 2010

ゲームセンターあらし

ついに、ついに、ついに!『ゲームセンターあらし』を全巻買ってしまった。

七千円以上したけれどちっとも後悔なんかはしていない。
だってだって面白いんだもん。

赤白のスタジアム・ジャンパーやブーツカットのデニム、意味をなさないほどつばの長い帽子が欲しくなった。

スポ根並みの特訓、親指に血のにじむ死闘、ゲーム戦士にかかった地球の運命、飛び散る汗、よくでてくる百円、小便、ムーンサルトや炎のコマなどの必殺技、何て夢にあふれているのだろう。

コロコロコミックっていい。私の心にはずんずん響くものがある。それなのに他人はあまりわかってくれない。

漫画好きでもわかってくれない、というよりも漫画好き――それも漫画を実は高尚なものと言ったり、そこに深い意味を求める人種は――はなおさらわかってくれないのだ。そういう人たちは私とは違う漫画の楽しみ方をしているのだから仕方ないといえば仕方ないのだが、やっぱり多少は悲しいし残念だ。できれば万人受けしてほしいから。

私がどのように漫画を楽しんでいるかというと、「はっは、くーだらない」と言いたくなる数々の場面を愛しみ、それはそれは楽しんでいるのだ。

異常なテンション、ありえない展開、やぼったさ、暑苦しさ、ご都合主義、理想主義、偽善、説教くささ、そして何より好物のいんちき臭さ!ぞくぞくする。

偉大なるクソガキ文化よ!『ゲームセンターあらし』の面白さがわからない人たちはクソガキだった過去がないのだろうか?だとしたらどんな子どもだったのだ?

そんな私はどの程度クソガキだっただろう?わりとライトなクソガキだったように思う。

何せ私は老けていたから。極端に老け顔だったり長男長女だったり大人の中で育った子どもに多くみられることらしいが、彼らは自分の中の幼児性を否定し、大人のように振舞おうとする。しかし、幼児性というものは消化しきらない限りいつまでたっても中途半端にくすぶってしまうものだ。しかるべき年齢でしかるべき成長ができなかった彼らには反抗期もない場合が多い。ちょうど私のように。

そういう人間にはいつの日にか反動が訪れるのだ。最適とは言いがたい時期に。深夜のドンキホーテでうんち香水を買う、一万円近く払って『ゲームセンターあらし』を買う、そういう風に。

本物のクソガキと違い、多少金銭的に自由な年齢だからそれこそ見境がない。ここ数年よく「大人買い」という言葉を聞くけれど、これは塾通いや氾濫した大人文化のせいでクソガキ時代を消化しきれなかったあわれな人間たちのささやかな反動ともとれる。

正常に、というよりも健全に生きてきた人たちには『ゲームセンターあらし』はくだらないものでしかないのかもしれないが、私にとっては聖域でさえあるのだ。

ガキである、それはつまり未来が、可能性がうんとたっぷりあるということだ。それ以上素敵なことって他にあるだろうか?こんなことを考えるなんて、私も歳をとってしまったようだ。

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